1999年夏、嵐の日だった。千葉県には洪水警報が出ていた。渋谷でもかなりの雨量だったはずだ。密閉されたラブホテルのベッドで眠っていたボクにも、雨と風の音がはっきりと聴こえた。
天候が荒れている、普通の1日のはずだった。しかし、この日が彼女とあのラブホテルで過ごした最後の1日になった。
ザザザッッという雨が吹きかかる音にボクはガバッと、身を起こす。
背中を向けていた彼女がポツリと声をかけてきた。
「起きた?」
「うん」
雨風の音が絶え間なく鳴っていた。
ベッドの上をゴロンと転がってきて、彼女はボクの腰辺りにへばりつき、めずらしく甘えてきた。
「ね、鶴瓶と奥さんのなれそめ知ってる?」
「ん?」ボクがそう答えると、腰をくすぐられてベッドに押し倒された。
「あ、心臓の音が、きこえる……」彼女はそういったまましばらく動かなかった。
「お金がなくて、売れてなくて、奥さんの両親は大反対したんだって……」
「鶴瓶の話?」
「決まってるでしょ」
「うん」
ボクは仰向けで壁紙がところどころ剥がれた天井をぼんやり見ながら、彼女の重さを感じていた。
「遠距離になったふたりは別れるの。その夏、彼は大阪のプールの営業に行くの。プールサイドで、司会をしてるのね。そしたらそこに流れるプールに乗って奥さんが現れたんだって」
「それで?」眠気を抑えながらボクは聞いた。
「彼女は手を振って、帰りの飛行機のチケットを破ってみせるの。ふたりはその日からずっと一緒に暮らしてるんだって」
王子様とお姫様はそのあとずっと幸せに暮らしましたとさ。そうして物語は必ず終わる。物語が物語である理由はそこだ。作り話には結末がある。そのあとずっと幸せに暮らすことが一番のファンタジーだということを物語は常に最後の1行に託している。
「心臓の音……きこえる?」ボクはそう言って彼女を抱きしめた。
「うん……」彼女はそういうとしばらく泣いた。
とある六本木の有名なキャバクラCに、夜な夜なテレビ関係のお偉いさん達が集まっていた。その店の女の子数人の名刺のデザインと上顧客用に配布するパンフレットのデザインを受注していた。六本木ガスパニックのバーテンの女の子から回してもらった仕事だった。この仕事がなぜかテレビ局の一部の上の人に見初められる。
時を同じくして、バラエティ番組にテロップが多用される演出も一般的になり、会社は一気に人数を急増して体制を整え、すべての仕事が倍々ゲームのように膨らんでいった。
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