幸せになる勇気

青年は吐き捨てる。「……こ、この忌々しい毒虫め!」

「叱る」ことの必要性を主張してきた青年に、哲人はついに決定的な指摘をします。「叱る」という行為は、相手を威圧し屈服させようとする「暴力的」なコミュニケーションであり、それを行うのは、教育者として未熟な、また愚かな態度であると。100万部を突破したベストセラー『嫌われる勇気』待望の続編『幸せになる勇気』より、第二部を特別掲載いたします。

怒ることと𠮟ることは、同義である

哲人 誰かと議論をしていて、雲行きが怪しくなってくる。劣勢に立たされる。あるいは議論の最初から、自らの主張が合理性を欠くことを自覚している。このようなとき、暴力とまではいかなくとも、声を荒げたり、机を叩いたり、また涙を流すなどして相手を威圧し、自分の主張を押し通そうとする人がいます。これらの行為もまた、コストの低い「暴力的」なコミュニケーションだと考えねばなりません。……わたしがなにを言わんとしているのか、おわかりですね?

青年 ……こ、この忌々しい毒虫め! 興奮して声を荒げるわたしを、未熟な人間だと嘲笑っているのですか!

哲人 いえ、この部屋でどれだけ声を荒げようと、一向にかまいません。わたしが問題にしているのは、あなたの選ぶ「𠮟る」という行為の内実です。あなたは、生徒たちと言葉でコミュニケーションすることを煩わしく感じ、手っ取り早く屈服させようとして、𠮟っている。怒りを武器に、罵倒という名の銃を構え、権威の刃を突きつけて。それは教育者として未熟な、また愚かな態度なのです。

青年 違う! わたしは怒っているのではない、𠮟っているのです!

哲人 そう弁明する大人は大勢います。しかし、暴力的な「力」の行使によって相手を押さえつけようとしている事実には、なんら変わりがありません。むしろ「わたしは善いことをしているのだ」との意識があるぶん、悪質だとさえ言えます。

青年 そうじゃない! いいですか、怒りとは感情を爆発させることであり、冷静な判断ができなくなることです。その意味で𠮟るときのわたしは、ひとつも感情的になっていません! 逆上しているのではなく、計算ずくで、冷静に𠮟っている。我を忘れて激昂する人と一緒にしないでいただきたい!

哲人 あるいはそうなのかもしれません。いわば実弾の装塡されていない、空包の銃だとおっしゃるのでしょう。しかし、生徒たちにしてみれば、銃口を向けられている事実は同じなのです。そこに装塡されたものが実弾であろうとなかろうと、あなたは銃を片手にコミュニケーションをとっているのです。

青年 じゃあ、あえて聞きましょう。たとえるなら相手は、ナイフを持って立てこもる凶悪犯みたいなものですよ。罪を犯し、あまつさえ戦いを挑んできている。その、注目喚起やら権力争いやらの戦いをね。銃を手にしたコミュニケーションのなにが悪いのです? いかにして法と秩序を守るのです?

哲人 子どもたちの問題行動を前にしたとき、親や教育者はなにをすべきなのか? アドラーは「裁判官の立場を放棄せよ」と語っています。あなたは裁きを下す特権など与えられていない。法と秩序を守るのは、あなたの仕事ではないのです。

青年 では、なにをしろというのです?

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幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

--- - "岸見 一郎" - "古賀 史健"
ダイヤモンド社
2016-02-26

この連載について

初回を読む
幸せになる勇気

岸見一郎 /古賀史健

『嫌われる勇気』から3年後、教師になった青年は再び、哲人のもとを訪ねる。「アドラーを捨てる」という、思ってもみなかった決意を胸にして。本当に「世界はシンプルであり、人生もまたシンプル」なのか。それとも「アドラー心理学」は現...もっと読む

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uma_klpe 『要するに「悪いあの人」の話であり、そこで翻弄される「かわいそうなわたし」の話です。わたしは、そこに必要以上の価値を認めようとは思いません 』アドラー心理学の実践の最たるポジショニングを表している。前を向くことの勇気が試されます。> https://t.co/yIlw7GK107 1年以上前 replyretweetfavorite