これでもう何度目だろう。私は結婚式場の予約を電話でキャンセルした。
2回目以上ともなると慣れたものだ。
式場側も、キャンセル自体はよくあることなのか、「なぜキャンセルをするのか?」といった立ち入った質問はしてこない。
予約した時にはあんなに高揚した声で、
「おめでとうございます!!!」と何度も言っていたのに、キャンセルの時は粛々と処理される。
相手もビジネスなのだ。
私がなんでこんなハメに陥っているのか、説明が必要だろうか。
聞きたい人がいたら、どうぞ聞いていって欲しい。聞きたくない人は、とっとと退出して欲しい。私は説教をされるのが嫌いなのだ。いや、女はみんな説教されるのが嫌いなのだ。
当たり前だが、ふざけて人生を送っている人間なんていない。ただ、歯車が噛み合わないときもある。
私は結婚という歯車にうまく噛み合わせることができないでいる。これは恋愛とはまったく別物だ。
式場をキャンセルする一週間前。隆二は銀座の数寄屋橋交差点の近くの路地裏に車を止めて私を待っていた。
「ごめん隆ちゃん。なんだかんだ、お開きになってからも部長の話が止まらなくて」
私は彼の自慢のランクル(ランドクルーザー)に慌てて乗り込みながら口にした。
「ユウカは飲むといつもこれだ。酒が入るとだらしない」
こちらを一瞥するとすぐに正面を向き不機嫌な口調で隆二は言った。
「ごめん。でもそんな言い方って。社会人としての付き合いってものがあるんだから」
「付き合い付き合いって、俺は女の子がこんなに遅くまで付き合う必要はないと思う。ユウカの会社の人間もどうかしてるよ。普通、女の子を終電がなくなるまで付き合わせたりしねーだろ」
「違うよそれは。私がいたいからいたの。終電の管理くらい、自分でするべきだし」
「で、結局逃してんじゃん。俺がいつでも迎えに来るって思ってんだろ」
「別にそうじゃないけど。隆ちゃんだって嫌ならこなければいいでしょ。そしたら私タクシーで帰るし」
「なんだよそれ。だったら初めから呼ぶなよ。黙ってタクシーで帰ればいいじゃん。彼氏としたら酔って迎えに来てって言われたら、やっぱり心配だから行かなきゃって思うだろ。本当にタクシーで帰る気あんなら初めから連絡してくんなよ」
その言葉が私の逆鱗に触れた。
「わかった。もういい。別れよ」
その言葉を聞いた隆二の驚いた顔は今でも鮮明に覚えている。どこか知らぬ土地の言葉を耳にしたような、あきらかに意味が理解できないという顔をしていた。隆二がその言葉を呑み込んで、次の言葉を吐き出すまで数分を要した。
「何いってんの? 酒飲みすぎた?」
口調が先ほどの5割は優しくなっている。隆二の焦りがその口調からも顕著に伝わってきた。
それも当たり前のことかもしれない。既に私たちは半年後に結婚式を控えていた。軽々しく別れると口にできる間柄ではなかったはずだ。とはいえ、それは二人の間だけの話で両親にはまだ打ち明けていなかった。そして隆二には内緒だったが、私は、30代になってから付き合って結婚を確信すると、すぐに式場を押さえる習慣があった。もちろん常に本気だ。絶対に結婚すると信じているからこその予約だった。隆二は3度目の正直と思ったのだが。
友人には「結婚が決まってから予約はすればいい」と言われるが、付き合った時点で結婚はするつもりじゃないの? と思う。私は付き合った男とは付き合って三ヶ月以内には結婚の話を必ずしている。そもそも結婚する気も無い人と付き合わないでしょ。なんとなく付き合う、とか有り得ないから、と心の中のリトルユウカが真っ赤な顔で主張をする。しかし、それをそのまま口にすると周りの友人たちには大抵あきれられる。リトルユウカは間違ってないと思うけれど。
「別に酔ってるからじゃないよ。実は迷ってたの。隆ちゃんに飲み会の度に責められるの、ずっと嫌だったし。本当に愛しているなら、私の好きなだけいさせてくれるはずだもん。だって私、コンパに行ってるわけじゃないんだよ。会社の付き合いだよ。たまに出張できたお世話になっている人たちと2時まで飲んでることを責められるのは辛い。ユウカは思う。本当に好きな人のためを思ったら、その人の望むことをサポートしたり応援できるはずだ、って。ユウカ、隆ちゃんが仕事の飲み会で遅くなったからって文句いったことある? 上司の自宅に急遽呼ばれた先月のバーベキュー。デートできなくなっちゃったけど、私なんとも思わなかったよ。隆ちゃんは上司にお家に呼んでもらえるくらい好かれてるんだ、って、嬉しくなったくらい。私は隆ちゃんの幸せを願ってるからなんでも許せるんだよ。でも、隆ちゃんここ最近、ユウカを責めてばかりだった。だから本当は不安になってたの。このままこの人と結婚していいのかな……って」
その言葉に隆二はあからさまに不機嫌になり押し黙った。「煮え湯を飲まされた」という顔をしている。それから私の家までの約1時間。二人は無言で過ごしていた。
私の家に着くと隆二がいった。
「俺、ユウカと別れないから」
……残念、もう私の心は決まっていた。
私は絶対、自分より相手の気持ちを優先する自信があるのに、彼はそうじゃない。
だったら彼の気持ちを優先して早めに帰宅するべきだ、という人がいるかもしれない。事実、それは隆二にも過去いわれたことがある。でもそれは違う。なぜなら、私は“相手の行動を否定しない”ということこそが相手の気持ちを優先させることだと思っているから。相手の選んだ行動を尊重したいし、彼には私が選ぶ行動を尊重してほしい、と思っている。
そして、私の選ぶこの行動は彼氏がいてもいなくても変わらない。たまの出張者に誘われたら会食に付き合いしたいし、部署の飲み会でも望まれれば2次会にも行きたいと思う。もちろん、彼氏ができたから変わる部分もある。男友達と二人でご飯にいかないとか。(何もなくても、本当に友達でも、彼が嫌がるなら絶対にいかない。正直くだらないと思うがそこは理解を示す)
しかし、今日の飲み会は、まったく私の中で違うのだ。半分は仕事だ。
しかも、しょっちゅうあることではない。たまにのことだ。
そこは彼氏として理解を示して、「心配だから迎えにだけは行かせて欲しい」というのが当たり前なのではなかろうか。こんなことでいちいち彼女を責めたてるような男は小さいとしか言いようがない。私は彼の選んだ行動を否定したことは一度もない。
それは信頼の裏返しでもある。
「ごめん。式場は私がキャンセルしておくね」
一生を共にする相手ではないと確信した私は、それだけ告げると振り返らずに彼の車を後にした。
(イラスト:ハセガワシオリ)