下品なゴシップが書かれた中吊りを見ながら六本木に折り返している。
日比谷線下りの午前中の車内はほどよく空いていて快適だ。日比谷線で仕事場まで護送されるだけの毎日もこれだけ繰り返されれば慣れてくる。
電車のブレーキ音がけたたましく鳴り響く。眠りこけていたサラリーマンが驚いて、真っ暗闇の窓を覗いた。
彼女とのことを思い出しながら、二十代の酸味の強い出来事が、二日酔いの胃液のように次から次にリバースしてくる。
ラブホテルに入るとボクはテレビをよくつけた。すると彼女は「こういうの本当くだらないよね」と必ず言って笑った。その情報番組では芸能レポーターが、フリップを使ってどうでもいいゴシップを丁寧に報告していた。本当にどうでもよかった。ただボクはまったく笑えなかった。なぜなら、そのフリップを作るのがボクの仕事だったからだ。
テレビで芸能人がめくるフリップ、出演者がしゃべった時に下に入るテロップ、番組内で使われる小道具。オープニングタイトルのCG。それらを時間通りに作って現場に届けるという、テレビの美術制作をこの20年間、生業にしてきた。
あの頃は、今よりさらに明日が不安だった。彼女と一緒に居る時以外のボクは、常にギリギリの精神状態だった。そこは「修羅の国」と言うほど、かっこよく荒れてもないし、「不思議の国」と言うには、不条理ばかりで、それはいわば「ギリギリの国」と言うのが正確な表現だった。
ボクは「人生に無駄なことはひとつもない」という人は、相当忘れっぽい人間だと思っている。ただ、無駄でしかないと思っていた時代に出会ったひとりの男のことを、地下鉄の暗闇ごしにまた思い出していた。彼と出会ったのはギリギリの国の窒息しそうな場所だった。
1999年のクリスマス間近の東京、六本木。
六本木で仕事を始めてから初めてのクリスマスだった。高層マンションの最上階の窓際に、キラキラした豪華なクリスマスツリーの灯りが見えた。ボクはぼんやりと少しの間、星を眺めるように立ち止まってそれを見ていた。
専門学校から社会に放り出されて3社以上転々として、そしてなんとか転がり込んだその会社はジリ貧だった。当然、ボクの人生もジリ貧だった。
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