パイロットが誘う最高の空旅

世界中の旅客機が行う“儀式”とは

パイロットは、上空で友達とすれ違うことがある? コックピット同士で交わされる会話とは? ボーイングを飛ばして世界中をめぐる現役の旅客機パイロットが著した『グッド・フライト、グッド・ナイト』から、最も読者の反響があった部分を全5回の連載で特別にご紹介します。

ブリティッシュ・エアウェイズの現役パイロット、マーク・ヴァンホーナッカー
photo: Nick Morrish / British Airways

対空無線から聞こえてきた声

 旅客機を操縦しているとき、対空無線から知り合いの声が聞こえてくることもある。お互い世界を飛びまわるパイロット同士、同じ時間に同じ空域にいるよう、あらかじめ手配することなどできるわけがない。

 たとえば私がニューヨークを離陸してロンドンに向かって高度をあげているとき、ロンドンからニューヨークへ飛来して、高度をさげている友人の声を聞くこともある。もう少しで顔が見られたのにと思うと、両都市のありがた迷惑な均衡のようなものを、私と友人だけが背負わされたような口惜しさがある。

 周波数で友人の声に気づいたとき、他機の交信の邪魔にならなければ、早口であいさつを交わす。友人の操縦する機体がどこにいるのかわからないし、どこに向かっているのか見当もつかない。やがてどちらかが周波数を変え、別れの言葉もなく対空無線から消える。闇のなかですれちがった二隻の船のように、私たちは遠ざかっていく。

 パイロットと客室乗務員がインターコムで交わす会話のひとつに、数週間後に引退するクルーの連絡がある。形骸化しつつあるものの、世界中の大型旅客機で行われている儀式のためだ。

 引退するクルーの名前を聞いたパイロットは、機内に10カ所以上あるインターコムを順番に呼びだして当人を捜し、ロンドンに着陸するときにコックピットへ来ないかと誘う。朝食の機内サービスが終わると、当の客室乗務員がコックピットへやってくる。

 その日は私がヘビー・ホーム、つまり予備のパイロットだった。操縦しているパイロットたちのうしろに客室乗務員と並んで座って、油絵に入ったひびのようなチルターン丘陵の生け垣が、翼の下をすぎていくのを眺めた。前日に見たバンクーバーの日の入りや、夕焼けに染まるカナダの山々の白い頂はすでに遠い記憶になっている。

 引退する客室乗務員に、最近、着陸のときにコックピットに入ったことがあるかと尋ねると、客室乗務員は首を横に振った。「ずいぶん久しぶりだわ。夫も747のパイロットだったの。数年前に夫が引退してからは、コックピットで着陸を見ていなかった」

 夫婦そろって現役のときは一緒に飛ぶ機会もあったのかと尋ねると、彼女はうなずいた。「ケープタウン、シンガポール、香港がお気に入りだった」そう言ってにっこりする。遠くない未来、私たちが乗っている747も引退する。私は、すでに引退した客室乗務員の夫のことを思った。もうじき彼女が引退し、いつか私の番も来るのだ。

 常々、フライトのたびにあっさり解散する人間関係から解放されたらほっとするのではないかと思っていたので、引退したご主人は現役時代を懐かしがっているかと質問すると、彼女は、窓の外を流れる風景を眺めながら答えた。

「ええ、もちろん。恋しがっているわ。何よりみなさんに会えないのがさみしいと言うの」

“みなさん”というのは長いキャリアのなかで出会った何百人ものパイロットのことか、それとも地上勤務員のことか、と重ねて質問した。ひょっとすると乗客のことだろうか。

「あら、ぜんぶよ、ぜんぶ」彼女は声をあげて笑い、左側の窓の外に広がるウィンザーに目をやった。前方に滑走路が現れ、巨大な車輪がおろされた。

南大西洋とブラジル沿岸。リオデジャネイロに接近中。
photo: Mark Vanhoenacker

 2機の旅客機が、同じ飛行経路を同じ時間帯に飛ぶこともある。異なるのは高度だけだ。いずれ速度や風のちがいで離れていくが、離陸して30分くらいは互いの機影を確認できる。そういうとき、対空無線で一方のパイロットが他方のパイロットに、写真を撮ったからメールアドレスを教えてくれと言うのを何度か聞いた。旅客機の写真はもちろん好きだし、それが大西洋やナミビアやアンダマン海の上を飛んでいる自分の機の写真となれば格別だろう。

 互いの姿が見えなくても、123.45メガヘルツの共通周波数で近くを飛ぶ航空機と交信することができる。この周波数は同一空域を飛行するパイロットに乱気流の位置を知らせるために使われることが多いのだが、ちょっとした冗談を飛ばすこともあるし、暗黒の大西洋を東向きに飛ぶパイロットに、流星群とか、オーロラとか、金星と木星の大接近を知らせることもある。

 どこかの国の選挙結果や現在進行中の試合の得点が知りたいときも便利だ。ただしインターネットが空にも張りめぐらされてからというもの、そうしたリクエストは、世界が今ほどつながっていない時代を知るパイロットの思い出話になってしまった。

「さほど遠くない空からよろしく」

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パイロットが誘う最高の空旅

マーク・ヴァンホーナッカー /岡本由香子(訳)

ボーイングを飛ばして世界中をめぐる現役の旅客機パイロットが、愛してやまない大空と飛行機について語り尽くした『グッド・フライト、グッド・ナイト』。 ニューヨーク・タイムズのベストセラーリストに入り、エコノミスト誌の年間ベスト・ブック...もっと読む

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コメント

hykw_NF 『グッド・フライト、グッド・ナイト』の抜粋を掲載中です。> 4年弱前 replyretweetfavorite

tarakeoo なんかいいな〜こういうの。 4年弱前 replyretweetfavorite