ブリティッシュ・エアウェイズの現役パイロット、マーク・ヴァンホーナッカー
photo: Nick Morrish / British Airways
クルーの名札は、乗客のためだけではない
いつだったか、パイロットは空港内のどこにいるのかと質問されたことがある。
車で出勤するならどこに駐車するのか、フライトの何時間前までに出勤しなければならないのか、同じ便で働く同僚とはどこで会うのか、ひょっとして機内で初めて顔を合わせるのか、といったことだ。
長距離線を担当する日なら、空港に着いてまず手荷物を預ける。それから到着ロビーと出発ロビーのあいだにある広々としたオフィスフロアへ向かう。この際、私は意識的に階段を使う。離陸したら半日以上もコックピットでじっとしていなければならないので、身体を動かせるうちに動かしておきたいからだ。
オフィスフロアはコンピュータのある事務所と、ミーティング・ルームと、職員専用のカフェでだいたい三等分されている。
まずはコーヒーを片手にコンピュータの前へ行き、最後に職場を出てから今までに発行された文書にざっと目を通す。新しい運用手続きや新型の機材に関する文書もあり、747に新しいコンピュータ・システムが搭載された場合も、技術上の改良点とそれに伴う手順の変更などをこうした文書で確認する。
出勤してから文書を確認するまでのどこかで、IDカードをシステムに読みこませて、空港内にいることを知らせなければならない。さもないとレポート時刻(長距離線の場合は離陸時刻の90分前)に、誰かが私の携帯を鳴らし、車輪がパンクして道路で立ち往生していないか、スケジュールをまちがえて家のソファーでコーヒーを飲んでいないか確かめることになる。
レポート時刻になったら、指定されたミーティング室へ行き、そこで初めてほかのパイロットや客室乗務員と顔を合わせる。
よくある誤解に、旅客機のクルーは数人のパイロットと客室乗務員で編成する固定されたチームのようなもので、多少の入れ替えはあってもだいたい同じ顔ぶれで働いているのだろうというものがあるが、少なくとも私の会社ではまったくちがう。
ボーイング747のクルーは16人から20人のあいだだが、ミーティング室に行って、これからともに世界を横断しようという面々が残らず初対面のこともめずらしくない。クルーが名札をつけているのは、乗客のためだけではないのだ。
ロンドン・ヒースロー空港へのアプローチ。翼下にテムズ川が見える
photo: Mark Vanhoenacker
飛行前ブリーフィングは二部構成だ。まずは全体ミーティングで、その日のフライトの概要を打ち合わせる。客室乗務員が乗客について説明する。
たとえば目の不自由な人が大勢乗っているかもしれないし、王室の誰かが搭乗しているかもしれない。最近ではチャリティマラソンに参加する数百人の警察官を乗せたこともある。
パイロットからは、飛行時間と乱気流が予測される空域およびその時間帯を伝える。乱気流の発生場所は、高層風からだいたい予測できる。
さらに飛行経路にシベリアやカナダ北部、大西洋のど真ん中、山脈地帯などの僻地が含まれる場合、それも周知する。飛行中にトラブルが発生したときの対処が変わるからだ。
続いて目的地に関して、たとえばマラリアの流行などがあれば連絡するし、クルーの友人や家族が搭乗している場合も全員で情報を共有する。クルーの家族や友人はひそかに(だが愛情を込めて)クリンゴン人〔訳注/『スタートレック』シリーズに登場する架空のヒューマノイド型異星人〕と呼ばれる。
最後に忘れてならないのは駐機場所だ。大きな空港では大事な情報である。
そのあとマニュアルの変更点を再確認し、飛行安全に関する手順を復習する。緊急時、コックピットの内と外でお互いにとるべき対処を共有するためだ。たとえば機内の気圧が保てなくなったとき、パイロットにはパイロットの、客室乗務員には客室乗務員のやるべきことがある。
世界の都市の気象を、気難しい同僚の性格のように把握する
客室乗務員とのブリーフィングが終わると、パイロット同士でフライトに関する細かな打ち合わせに入る。飛行経路、経路上の、閉鎖中または一部の機能が使用できない空港の有無、それから航空機の軽微な(運航に支障のない)不具合について分厚いマニュアルで確認する。
天候は重要だ。ブリーフィングではたいてい、ルート全体の地図が表示される。たとえば日本へ向かう北まわりのルートは北極が中心で、南北のどちらを上に表示するかはそのときの好みだ。地図に散らばる気象記号はヒエログリフにちなんで“メトログリフ”とでも呼びたくなる形状で、ジェットストリームの位置や、乱気流や嵐や着氷が予測される空域を示している。
次に目的地と周辺空港の天候を確認する。参考にするのは航空気象だけではない。それぞれのパイロットの経験も大事だ。
たとえば私にとっては初めての空港でも、ほかのパイロットが知っているかもしれない。サンパウロは急に大雨が降ることで有名だ。サンフランシスコは通常の大気の特性に反して、地表近くで風が強い。
また地表近くの風は乱気流にはなりにくいものだが、成田空港に着陸するときは、たいした風でもないのに驚くほど機体が揺れることがある。経験を積むと世界の都市の気象を、気難しい同僚の性格のように把握できるようになる。
コンピュータが算出する燃料の消費量は実際よりも多めになるが、風の予報が外れたり、タクシーに予想以上に時間がかかったりするとすぐにぎりぎりになる。天候のせいで最適高度で飛行できないかもしれないし、空港が混雑していて着陸が遅れる場合もある。
そこであるルートを飛行するのに必要な燃料に、不測事態が起きた場合の予備を加えて給油する。機体ごとのフューエル・ファクター(燃費)も考慮される。これはゴルフのハンディのようなもので、同じ機種でも燃費の悪い機体には余分に燃料を入れる。
その日の燃料搭載量が決まると、ミーティング室の外のコンピュータ端末に数値を入力し、燃料班に知らせる。長距離線の給油はかなり時間がかかるので、クルーが旅客機に乗りこむ遥か前から給油を開始しなければならない。
旅客機は、ふたりで操縦するように設計されている
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