ブリティッシュ・エアウェイズの現役パイロット、マーク・ヴァンホーナッカー
photo: Nick Morrish / British Airways
上空で、「道路標識」に目を凝らす
空を飛んでいると世界中に打たれた句読点またはアスタリスクを発見して愉快な気持ちになる。この場合の句読点というのはナブエイドのことで、パイロットでもなければ存在していることすら気づかないだろう。
地上には無数のナブエイドがあり、空の道しるべとなる電波を発している。
パイロットなら誰でも、手動でナブエイドの周波数を設定し、現在地を割りだすことができるが、現代の航空機はナブエイドの電波を自動で捜索する。車でよく知らない町を訪れた人が、目印になる建物や道路標識に目を凝らすようなものだ。
ナブエイドの電波が届く距離は限られていて、航空機が電波を捉えると、コックピットのスクリーンにコードが点滅する。
そうやって私たちは世界に散らばるナブエイドの名を知る。
日本の茨城県には大子という、人口2万人ほどの町がある。袋田の滝を知らない外国人パイロットも、そこにあるナブエイドのことは知っている。
日本上空の空域
With permission of Lufthansa Systems GmbH & Co. KG
パイロットはナブエイドと“ウェイポイント”をつないだルートに沿って飛行する。
ウェイポイントは緯度と経度、もしくはナブエイドからの方位と距離で定められ、一般的にアルファベット五文字の組み合わせで表される(EVUKI、JETSA、SABERなど)。世界中の管制官やパイロットが発音でき、しかも区別しやすいよう配慮されている。
航空図にも、フライト・コンピュータにも、こうしたポイントがちりばめられている。ウェイポイントは空を区切る最小の単位であり、空の上でのみ意味を持つといっていい。空において、音声で場所を認識する手段なのだ。
空の地図を作る人たちの愉しみ
ほとんどのウェイポイントの名前は意味のないアルファベットの組み合わせである。言語学の授業で習ったのだが、発音可能な綴りは実際の単語数よりもずっと多いそうだ。
空の地図を作製する人たちは、そういった綴りを自動的に生みだし、似た組み合わせのウェイポイントが近接しないよう配置するソフトウェアを使う。
しかし、作為的な組み合わせもかなりあり、世界のあちらこちらに、含みのある五文字のアルファベットがちりばめられている。
含みのある名前の多くは海の伝統を反映している。オーストラリアのパースの近くにはFLEET(船隊)、ANCOR(錨)、BRIGG(ブリグ型帆船)、SAILS(帆)、KEELS(竜骨)、WAVES(波)などといったポイントがある。
タスマン海の空には弧を描いてニュージーランドへ至るウェイポイントが並んでいて、それぞれWALTZ、INGMA、TILDAとなっている。つなげるとオーストラリアで国歌同然に親しまれている『ワルツィング・マチルダ』のできあがりだ。
そこから何千マイルも西へ行くと、インド洋から西オーストラリアまで南北に何百マイルも連なるポイントがあり、北からWONSA、JOLLY、SWAGY、CAMBS、BUIYA、BYLLA、BONGSと並んでいる。Once a jolly swagman camped by a billabong(ある日、陽気な浮浪者が沼地で野宿していると)つまり『ワルツィング・マチルダ』の出だし部分である。
オーストリアとドイツの国境には奇妙な綴りのポイントが並ぶ。NIGEB、DENED、IRBIR、これらはドイツ語のNie gebt denen ihr Bier に由来していて“そいつら(パイロットのことか?)にけっしてビールを飲ませるな”という意味になる。
シュトゥットガルト近くの空にはVATERとUNSERというポイントがある。“天にましますわれらの父よ”で始まる主の祈りをドイツ語で唱えたときの最初の二語だ。
アメリカの航空図作成者は、ほかの国々よりも地元愛が強い。カリフォルニアのソノマ・カウンティ空港はチャールズ・モンロー・シュルツの名前を冠しているが〔訳注/正式にはチャールズ・M・シュルツ・ソノマ・カウンティ空港〕、近くのウェイポイントはSNUPY(スヌーピー)だ。
デトロイトにはPISTN(ピストン)があり、これはいうまでもなく工業の町の歴史を受け継いだバスケットボールチームを指している。デトロイトの空にはほかにもMOTWN(モータウン)、WONDER(ワンダー、スティービー・ワンダーはミシガン州の出身)、EMINN(おそらくラッパーのエミネム)がある。
ボストンはニューイングランド地方の空に地方色をばらまいている。PLGRM(ピルグリム)は宗教と歴史、CHWDH(チャウダー)、LBSTA(ロブスター)、CLAWW(カニ)は名物料理、GLOWB(グローブ)とHRALD(ヘラルド)は地方新聞で、SSOXS(ソックス)、FENWY(フェンウェイ)は野球に対する愛情を、さらにBAWLL(ボール)、STRKK(ストライク)、OUTTT(アウト)は地元球団の苦悩を反映している〔訳注/現在、STRKKは存在しない〕。
WIKID(ウィキッド、ボストンではクールと同様かっこいいの意味で使われる)やPAHTI(パーテー、パーティーのこと)というボストン訛りまで航空図にねじこむ入念さだ。
羽田空港周辺の航空図
With permission of Lufthansa Systems GmbH & Co. KG
霧に包まれた空で、迷子になったあの日
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