ブリティッシュ・エアウェイズのパイロットとして世界を飛び回るマーク・ヴァンホーナッカーphoto: Nick Morrish / British Airways
やさしく揺られながら、寝袋にくるまる
窓のない小さな空間で、私は眠っている。部屋のなかは喫水線よりも下にある船室のように暗い。
顔のすぐ横に壁があって、壁の向こう側から、何かが流れるような規則正しい音が聞こえてくる。無数の粒子が身体のまわりを通過していくような……川面に突きだした石を迂回する水のような……それでいてもっと速く、なめらかな音。
私はひとりだ。数年前のクリスマスの朝に何千マイルも離れた場所でプレゼントされた青いパジャマを着て、青い寝袋にくるまっている。
部屋全体が一定のリズムで、やさしく左右に揺れている。ここはボーイング747内の仮眠室だ。
食事会やパーティーに出席して自己紹介をすると、仕事についてあれこれ質問される。技術的な質問もあれば、彼らが最近のフライトで見た風景や、聞いた音にまつわる疑問をぶつけられることもある。これまで行った都市や、お薦めの旅行先を教えてくれという人もいる。
そして必ずといっていいほど、次の3つについて尋ねられる。昔からパイロットになりたいと思っていたのか? 上空で説明できないようなものを見たことがあるか? 初フライトを覚えているか?
photo: Mark Vanhoenacker
パイロットになる人はたいてい、幼い頃から飛行機が好きだ。私も、模型飛行機を組み立てては天井につるすような少年だった。
夏休みの家族旅行も、関心があるのはどこへ行くかより、どうやって行くかだった。フロリダのディズニー・ワールドで遊んでいるあいだも、本物の魔法の乗り物で地上を離れる瞬間を待ちわびていた。
13歳のとき、初めて友人でも親戚でもない人から電話をもらった。母が「ボーイング社の人があなたと話したいそうよ」と受話器をこちらへ差しだしたときは、信じられない思いがした。
“ボーイング747を自由研究のテーマにしたので、飛行中の映像をもらえませんか”という私の手紙に「喜んで協力するが、録画するのはVHSとベータマックスのどちらがいいだろうか」とわざわざ電話をかけてきてくれたのだ。
仮眠室にアラームの音が響く。仮眠時間は終了だ。手さぐりで壁のスイッチを押すと、白っぽい明かりが灯る。すぐに起きて、プラスチックのフックにつるされたまま2000マイルほど空を旅してきた制服に着がえる。
身なりを整えてコックピットへ続くドアを開けると、まぶしさに身がすくんだ。仮眠室から壁一枚隔てたコックピットには太陽の光があふれている。
もちろん季節や経路や時間帯や場所によってちがうが、あの明るさはいつもこちらの予想を上まわる。仮眠する前は夜だったし、仮眠室も闇に沈んでいた。混じりけのない光の洪水は、第六感が目覚めたのではないかと錯覚するほど強烈だ。
明るさに目が慣れてから、窓の外を見る。はじめのうちは光そのものが、それが照らす地球を凌ぐ存在感を放っている。この日、光の落ちる先は日本海で、彼方に雪を抱いた山々が見えた。
空を反射した海はどこまでも青い。青い星めがけて、ゆっくり下降しているような錯覚にとらわれる。この世のすべての青は、あの海から抽出され、薄められているにちがいない。
空を飛ぶのに飽きたことは、一度もない
私は、コックピット右手の、シープスキンの操縦席に身を沈めた。副操縦士に割り当てられた場所だ。
まぶしさに目を瞬きつつ、操縦輪やラダーペダルに手足を添え、ヘッドセットをつけ、マイクの位置を調節する。それから少しの皮肉を込めて、同僚に「おはよう」とあいさつをした。
長距離線のパイロットなら身に染みているだろうが、短時間のうちに日の出と日の入りを繰り返すと、今が朝なのか昼なのか、朝だとしたら誰にとっての朝なのか(自分にとってか、乗客にとってか、もしくは翼下に住む人々にとってか、あるいは目的地にとってか)、よく考えないとわからないのだ。
紅茶を一杯もらって申し送りを受ける。コンピュータ画面と燃料計を確認する。小さな緑色の数字は東京の到着予定時刻を表している。だいたい一時間後だ。
時刻はグリニッジ標準時で表示されるが、ちなみにイギリスのグリニッジではまだ昨日である。別の数字は東京までの残りの飛行距離を表し、7秒ごとに1マイル〔訳注/本書ではノーティカル・マイル、つまり海里のこと〕ずつ減っていく。
人類史上最大のメガシティが、カウントダウンとともに迫ってくる。
ときおり、そんなに長い時間、コックピットにいて飽きませんか、と質問されることもある。
飽きたことは一度もない。
もちろん、疲れることはあるし、高速で家から遠ざかっている最中に、これが家に向かっているならどんなにいいかと思うこともある。
それでも、私にとってパイロットに勝る職業などない。地上に、空の時間と交換してもいいような時間があるとは思えない。
人は今日も旅に出て、未知の土地を訪れ、文化的にも言語的にも隔たった場所から自分の居場所(ホーム)を見直そうとする。私が思うに、経験を積んだ旅行者ほどこうした傾向が強い。
旅客機のクルーは、自分の故郷や住んでいる場所を離発着するとき、決まってコックピットに入りたがる。隅から隅まで知りつくした場所であっても、愛する町が小さくなっていく瞬間を、あるいは視界いっぱいに広がるさまを眺めたいのだ。
次回更新は3月31日です。