ある日、自分の顔が旦那の顔とそっくりになっていることに気が付いた。
『異類婚姻譚』より
出だしの一行を書いたとき、それまでの60数編とは明らかに違う力を感じたし、「これは最後まで書けるな」とわかったんです。
『異類婚姻譚』がどう生まれたかを尋ねてみれば、冒頭の一文がキーだったという。先に掲げたのがそれだ。
そのあと第二段落めに、次の文が自分のなかから出てきました。これでもう見失わないっ、ってはっきり思えた。
見れば見るほど旦那が私に、私が旦那に近付いているようで、なんだか薄気味悪かった。
『異類婚姻譚』より
PC内の写真を整理していて、結婚前と最近のものを比べてみると、「私」と旦那の顔が似ていることに気づくのだ。
「なんだか薄気味悪かった」の、「なんだか」というところが大事で。この、なんだかという部分を書いていきさえすれば、絶対だいじょうぶと思えた。小説を書くってそういうことだって。“なんだか”という語に含まれる言葉にならないものに物語を与え、形を成すことが小説にはできるんだ、この、“なんだか”を探していけば、これから先ずっと書けるかもしれない。そんな気がしました。