アドラー心理学の鍵概念であり、その理解においてもっとも困難を極める「共同体感覚」。哲人はそれについて「他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じること」だと言う。そして、そこには共感という技術が必要になり、共感の第一歩は「他者の関心事」に関心を寄せることだと言う。理屈としては、理解できる。しかし、子どものよき理解者になることが、教育者の仕事なのか? 結局それは哲学者の言葉遊びではないのか? 「再学習」なる言葉を持ち出した哲人を、青年は鋭く睨んだ。
「変われない」ほんとうの理由
青年 聞きましょう。アドラーの、なにを再学習するのです?
哲人 自分の言動、そして他者の言動を見定めるときには、そこに隠された「目的」を考える。アドラー心理学の基本となる考え方です。
青年 わかりますよ、「目的論」ですね。
哲人 簡単に説明してもらうことはできますか?
青年 やってみましょう。過去にどんな出来事があったとしても、それでなにかが決定されるわけではない。過去のトラウマも、あろうとなかろうと関係ない。人間は、過去の「原因」に突き動かされる存在ではなく、現在の「目的」に沿って生きているのだから。たとえば、「家庭環境が悪かったから、暗い性格になった」と語る人。これは人生の噓である。ほんとうは「他者と関わることで、傷つきたくない」という目的が先にあり、その目的をかなえるために、誰とも関わらない「暗い性格」を選択する。そして自分がこんな性格を選んだ言い訳として、「過去の家庭環境」を持ち出している。……そういうことですよね?
哲人 ええ。続けてください。
青年 つまり、われわれは過去の出来事によって決定される存在ではなく、その出来事に対して「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。
哲人 そのとおりです。
青年 そしてあのとき、先生はこんなふうにおっしゃいました。これまでの人生にどんなことがあったとしても、これからの人生をどう生きるかについて、なんら関係がない。自分の人生を決定するのは、「いま、ここ」を生きるあなたなのだ、と。……この理解で間違いありませんか?
哲人 ありがとう。間違いありません。われわれは、過去のトラウマに翻弄されるほど脆弱な存在ではない。アドラーの思想は「人間は、いつでも自己を決定できる存在である」という、人間の尊厳と、人間が持つ可能性への強い信頼に基づいています。
青年 ええ、わかります。ただ、わたしはまだ「原因」の強さも捨てきれないでいます。すべてを「目的」だけで語るのはむずかしい。たとえば「他者と関わりたくない」という目的があったとしても、その目的が生まれた「原因」だって、どこかにあるはずですから。わたしにとっての目的論は、画期的な視点ではあっても、万能の真理ではありません。
哲人 それもいいでしょう。今夜の対話を通じて、なにかが変わるのかもしれないし、変わらないのかもしれない。決めるのはあなたですから、わたしは強要しません。では、考え方のひとつとして聞いてください。
われわれは、いつでも自己を決定できる存在である。あたらしい自分を選択できる存在である。にもかかわらず、なかなか自分を変えられない。変えたいと強く願いながらも、変えられない。いったいなぜなのか。……あなたのご意見はいかがですか?
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