“Here lies Arthur C. Clarke. He never grew up and did not stop growing.”
墓碑にはこんな言葉が刻まれたという。うまい日本語にならないが、直訳すれば、「アーサー・C・クラーク、ここに眠る。彼はいつまでたっても大人にならず、いつまでたっても成長をやめなかった」というところか。いつまでも少年のような好奇心を忘れなかったクラークにとって、まさにぴったりの墓碑銘。引用句辞典とかに採用されて、長く語り伝えられそうだ──と思ったら、これは、生前のクラークが自分で考えて、オレが死んだらこれを使えと遺言しておいたものだったとか。それもまた非常にクラークらしい。
……などと知ったような顔をして私がクラークについて語るのはちゃんちゃらおかしいというか、ほとんど筋違い。そりゃま、『幼年期の終り』とか『2001年宇宙の旅』とか代表作は一通り読んでいるし、『明日にとどく』『天の向こう側』『10の世界の物語』あたりの短篇集は中学時代に愛読した。しかし、クラークを読んで感動したのは、たぶん、高校時代の『太陽からの風』が最後。そこからあとのクラークにはほとんど興味がない。『宇宙のランデヴー』は本誌連載(75年7月号~76年4月号)当時からわりとどうでもよかったし、『楽園の泉』の連載(本誌80年2月号~11月号)もつまらなくて、早く終わればいいのにと思っていた。そう言えば、再編集もののベスト版短篇集 The Sentinel を編集者として担当したこともあるが(『太陽系オデッセイ』南山宏訳/新潮文庫)、いま著作リストを見るまですっかり忘れていたくらいで、平均的なSF者と比べても著しく思い入れが薄いのである。
にもかかわらず、求められるまま新聞にコメントだの追悼原稿だのを寄せ、いままた特集にこと寄せて当欄でクラークの話を書いている理由はただひとつ。いまから九年前、はるばるスリランカの自宅を訪ね、インタビューしたことがあるから。古い話で恐縮ですが、せっかくの機会なので、どうしてそんなことになったのか、前後のいきさつも含め、当時のウェブ日記をもとに取材の裏話を振り返ってみたい。
ことの起こりは1,999年6月7日。サンフランシスコくんだりまで「スター・ウォーズ エピソード1」を見にいって、山のようなSWグッズを抱えて帰国した直後、〈エスクァイア日本版〉の編集者、S氏から電話がかかってきた。
「帰国したばかりのところ恐縮ですが、来週スリランカ行きませんか?」
わははは。なんだそりゃ。って、まあ用件は聞かなくてもわかるけど。
「次号が宇宙SFの特集なんですよ。ええ、『スター・ウォーズ』に合わせて。で、クラークのインタビューがとれそうなもんですから……」
いや、クラークだったらほかにいくらでも会いたがる人がいるでしょう。オレなんかがインタビューしたら石を投げられるよ。そりゃ、こんなことでもなきゃ一生スリランカには行かないだろうけど……と縷縷説明したものの、敵もさるもの。
「まあ、わたしがSFマガジンの編集者だったら大森さんには頼まないかもしれませんが、うちは一般誌ですから」
つまり、〈エスクァイア〉から見れば、SF屋はだれでも一緒だと。
「それに、予算がなくて、編集者は同行できないんですよ。申し訳ないんですが、カメラマンと二人だけで行ってもらいます。現地コーディネーターも通訳もなしで」
なるほど、この条件だと頼める人が限られてくるわけですね。ううむ。インタビュー時間は一時間ぽっきり、内容も作品についてじゃなくて宇宙と未来についてだと。それならなんとかなるような気もするが、しかし……とかぐだぐだ言ってるうち、いつの間にかチケットを渡されて、二泊三日のスリランカ旅行が決まったのである。
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