幸せになる勇気

青年は驚く。「他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じる!?」

哲人の論理は、看過できない矛盾を孕んでいると青年は指摘します。尊敬が強要できないものであるなら、一体、どのようにして尊敬は生まれるのか。その答えは、アドラーの基本概念「共同体感覚」の英訳からひも解くことができる、そう哲人は話しはじめます。100万部を突破したベストセラー『嫌われる勇気』待望の続編『幸せになる勇気』より、第一部を特別掲載いたします。

 尊敬からはじめよ、と哲人は言う。教育だけではない、あらゆる対人関係の土台は尊敬によって築かれるのだと。たしかに人は、尊敬できない相手の言葉には耳を貸さない。哲人の主張にも理解できる部分はある。しかし、すべての他者に尊敬を寄せよ、学級の問題児も、世間にはびこる悪党どもも、すべて尊敬の対象なのだ、という主張には断固反対だ。しかも、この男は自ら墓穴を掘った。看過できない矛盾を口にした。やはり、わたしがなすべき仕事はこれなのだ。この岩窟のソクラテスを、葬り去ることなのだ。青年はゆっくりと唇を舐めると、一気にまくし立てた。

「他者の関心事」に関心を寄せよ

青年 お気づきですか? 先ほど先生は、こう言いました。「尊敬は、ぜったいに強要することができない」。なるほど、それはそうでしょう。わたしも大いに同意します。ところが、その舌の根も乾かぬうちに「生徒たちを尊敬しろ」とおっしゃる。ははっ、おかしいじゃありませんか! 強要できないはずのことを、ご自身がわたしに強要されている! これを矛盾と呼ばずして、なにを矛盾というのです!?

哲人 たしかに、その言葉だけを拾い上げると、矛盾して聞こえるでしょう。しかし、こう理解してください。尊敬のボールは、自らがそれを投げた人にだけ、返ってくるものだと。ちょうど、壁に向かってボールを投げるようなものです。あなたが投げれば、返ってくることもある。しかし、壁に向かって「ボールをよこせ」と叫んでも、なにも起こらない。

青年 いいや、適当な比喩でごまかそうったって、そうはいきません。ちゃんと答えてください。ボールを投げる「わたし」の尊敬は、どこから生まれるのです? なにもないところからボールは生まれないのですよ!

哲人 わかりました。これはアドラー心理学を理解し、実践する際の重要なポイントです。あなたは「共同体感覚」という言葉を覚えていますか?

青年 もちろんです。まあ、まだ完全な理解に至っているわけではありませんがね。

哲人 ええ、なかなか理解のむずかしい概念です。また時間をかけながら考えていきましょう。さしあたって、ここで思い出していただきたいのは、アドラーがドイツ語の「共同体感覚」を英語に翻訳する際に「social interest」という語を採用したことです。これは「社会への関心」、もっと嚙み砕いていえば、社会を形成する「他者」への関心、という意味になります。

青年 ドイツ語とは違うのですね?

哲人 はい。ドイツ語では共同体を意味する「Gemeinschaft」と、感覚を意味する「Gefühl」を組み合わせた「Gemeinschaftsgefühl」、まさしく「共同体感覚」という語を採用しています。もしもドイツ語に忠実な英訳をするなら、さしずめ「community feeling」や「community sense」といった語になっていたかもしれません。

青年 まあ、そういう学術的な話を聞きたいわけではないのですが、それがなにか?

哲人 考えてみてください。いったいなぜ、アドラーは「共同体感覚」を英語圏に紹介するとき、ドイツ語に忠実な「community feeling」ではなく、「social interest」の語を選んだのか? ここには大きな理由が隠されています。
 ウィーン時代のアドラーが最初に「共同体感覚」の概念を唱えたとき、多くの仲間が彼のもとを去っていったという話はしましたね? そんなものは科学ではない、アドラーは科学であるはずの心理学に「価値」の問題を持ち込んだ、と反発され、仲間を失った話は。

青年 ええ、聞きました。

哲人 この経験を通じて、アドラーも「共同体感覚」を理解してもらうことのむずかしさは、十分理解していたはずです。そこで英語圏に紹介するにあたって、彼は「共同体感覚」という概念を、より実践に即した行動指針に置き換えた。抽象を具体に置き換えた。その具体的な行動指針こそが、「他者への関心」という言葉だったのです。

青年 行動指針?

哲人 ええ。自己への執着から逃れ、他者に関心を寄せること。その指針に従って進んでいけば、おのずと「共同体感覚」に到達すると。

青年 ああ、なにもわかっちゃいないな! その議論がすでに抽象的なのですよ! 他者に関心を寄せるという、行動指針そのものが。具体的に、なにをどうすればいいというのです!?

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幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

--- - "岸見 一郎" - "古賀 史健"
ダイヤモンド社
2016-02-26

この連載について

初回を読む
幸せになる勇気

岸見一郎 /古賀史健

『嫌われる勇気』から3年後、教師になった青年は再び、哲人のもとを訪ねる。「アドラーを捨てる」という、思ってもみなかった決意を胸にして。本当に「世界はシンプルであり、人生もまたシンプル」なのか。それとも「アドラー心理学」は現...もっと読む

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コメント

re_ymzk 「嫌われる勇気」は興味を持てなかったけど、「幸せになる勇気」のcakesの連載が楽しい。 2年以上前 replyretweetfavorite

skbluegreen 「他者の関心事に関心を寄せる」、なるほど!!これなら、人間に興味を持てない私でも実践できそう。[ 2年以上前 replyretweetfavorite

uma_klpe アドラー心理学を教育や子育てで扱っていくお話。この連載は『幸せになる勇気』からの抜粋なので、試し読みとして読めるのがいい。> 2年以上前 replyretweetfavorite

sharuka0 翻訳者を疑っているわけじゃないけど、とにかく戻れるもんなら原典に戻ろう、という気持ちが増すぞ 2年以上前 replyretweetfavorite