3年前の青年は、哲人の口から語られるアドラーの思想に驚き、疑い、感情的に反発するのが精いっぱいだった。しかし今回は違う。もはやアドラー心理学の骨格は十分に理解し、現実社会での経験も積んでいる。この、実地での経験という意味においては、むしろ自分のほうがより多くのことを学んできたとさえ言える。今回、青年のプランは明確だった。抽象ではなく、具体の話を。理論ではなく、実践の話を。そして理想ではなく、現実の話を。わたしが知りたいのはそれであり、アドラーの弱点もそこにあるのだ。
尊敬とは「ありのままにその人を見る」こと
哲人 具体的にどこからはじめればいいのか。教育、指導、援助が「自立」という目標を掲げるとき、その入口はどこにあるのか。たしかに悩むところでしょう。しかし、ここには明確な指針があります。
青年 聞きましょう。
哲人 答えはひとつ、「尊敬」です。
青年 尊敬?
哲人 ええ。教育の入口は、それ以外にありえません。
青年 それはまた、意外な答えですね! つまりあれですか、親を尊敬しろ、教師を尊敬しろ、上司を尊敬しろ、というわけですか?
哲人 違います。たとえば学級の場合、まずは「あなた」が子どもたちに対して尊敬の念を持つ。すべてはそこからはじまります。
青年 わたしが? 5分と黙って人の話を聞くことのできないあの子たちを?
哲人 ええ。これは親子であれ、あるいは会社組織のなかであれ、どのような対人関係でも同じです。まずは親が子どもを尊敬し、上司が部下を尊敬する。役割として「教える側」に立っている人間が、「教えられる側」に立つ人間のことを敬う。尊敬なきところに良好な対人関係は生まれず、良好な関係なくして言葉を届けることはできません。
青年 どんな問題児でも尊敬しろと?
哲人 ええ。根源にあるのは「人間への尊敬」なのですから。特定の他者を尊敬するのではなく、家族や友人、通りすがりの見知らぬ人々、さらには生涯会うことのない異国の人々まで、ありとあらゆる他者を尊敬するのです。
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