八百屋で試される勇気

八百屋に行ったことがないという〈臆病な詩人〉の文月悠光さん。どうしてすぐそばの八百屋に行ったことがないのか、よくよく考えてみると、個人商店はどうしても試されている気がするからだそうで――
街へ出るにも、まずは近所の八百屋から。文月さんのささやかだけれど、小さな冒険が始まります。

 こんにちは、詩人のふづきです。いきなりすいません。ほとほと困り果てて、これはもうみなさんに訴えるしかない、と思い、こうして直に語りかけています。

 今回の〈街へ出る〉は、八百屋です。言っちゃ悪いですが、詩人と八百屋、地味すぎやしませんか? 合コンにもスポーツ観戦にも行けない腰抜けは「まず八百屋から出直してこい」ってことでしょうか? ひどいです。仮にも今年25歳。「はじめてのおつかい」じゃ困るんです。

 担当編集者のN氏に抗議しようと思いましたが、N氏が八百屋の話をしながら、とっても楽しそうなんですね。「ふへー」と感心したり半ば呆れたりしている内に、まあ調子よく乗せられてしまいました。ああ、わたしは八百屋を愛せるのでしょうか……。

 発端は去年の十一月。連載に関する初めての打ち合わせを終え、最寄りの駅まで歩いていたときのことだ。編集者のN氏が「あっ」と立ち止まった。

「いい感じの八百屋がありますね!」

 この町に引っ越してから1年半、何百回とこの八百屋の前を通り過ぎていたけれど、私が店に立ち寄ったことは一度もない。ていうか、ここ八百屋だったのか。

「八百屋に『いい感じ』とかあるんですか」と尋ねた私に、N氏の左目が輝いた。

「ありますよ! よいところは、新鮮な旬の野菜を安く売っています。大手スーパーの流通ラインにはのらない、珍しくておいしい野菜も扱っていますし」

「はあ……。わたし、そういえば一度も八百屋に行ったことないです」

「えー! どうしてですか!?」

 どうして、と問われても、そんなものは無意識だ。野菜はスーパーにもたくさん売ってるし、八百屋に行く必要性を特に感じたこともない。でも、確かになぜ八百屋を無意識に避けてきたのだろう。

「……うーん。個人商店って、なんだか『試されてる』感じがしませんか」

 個人商店はいわばプロの店。商品に不用意に触れると、「何も知らない奴が来るな」と店の人に睨まれるような気がする。気軽に立ち寄りたくても「何か買わなくては悪い」と思えば、余計に足が遠のく。

 見知らぬ人とのコミュニケーションも苦手だ。喫茶店や古本屋なら、店の人から話しかけられるリスクは少ないけれど、八百屋は生活と密着している分、親しげな雰囲気がにじみ出ている。「いらっしゃいませ~!」と威勢よく声を張り上げられると、臆病な私は縮み上がってしまう。スーパーのレジに並んだほうが、どんなに気が楽だろう。

「そんな臆病なふづきさんの目線で、八百屋を書いたらおもしろそうですね!」

 N氏の目が楽しそうにキラキラと瞬いた。人の臆病をそんな楽しそうに……ドSなのか。

 いやいや。こうなったら、料理オタクN氏の知恵を拝借しよう。

「いい八百屋さん、ご存知ですか」とN氏にLINEを送ると、途端に八百屋選びのコツ、「自炊で冬らしく野菜スープを作りましょう!」とレシピ写真が次々になだれ込んできた。わ、わたしが自炊するの?

「おひたしは絶対失敗しないので」「それからスープを失敗しないコツは」「まずは失敗上等で」……。

 私は呆然としてLINEアプリを閉じた。だめだ。「失敗」の二文字しか見えない。

 そもそも、普段の私は自炊にかなり手を抜いている。味付けは出来合いの調味料頼り。ご飯茶碗にはヒビが入っていて、置くとカタカタ鳴る始末。道のりが遠すぎる。

(書くことしか能がないのに、なぜこんなことを……)と食器棚に頭を突っ込み、不毛な自問自答がはじまる。追い打ちをかけるように、またLINEの通知音が鳴り響く。

「家庭的な女をアピールしつつ、まっすぐな恋へつなげていくとよいのでは!?」

昼下がりの可憐な野菜たち

 平日の昼過ぎ、マフラーをぐるぐる巻きにして、近所で一番大きな八百屋へ出かけた。

 お店の黄緑色の鮮やかな看板の下に、人々の賑わいが見えた。ベビーカーを引いた若いお母さんが、「いい匂いねえ」と苺のパックに振り返る。男の子の手を引いたおばあちゃんが、野菜の間を分け入っていく。作務衣を着た白髪頭のおじさんが、熱心に大根を選んでいる。

 まず、傾斜に沿って積まれた色とりどりの顔触れに圧倒される。まさかこの山がすべて野菜なのか。いや、そうだよな。透明フィルムでパックされたスーパーの野菜を見慣れていると、生の野菜は同じ野菜とは思えないほど、色鮮やかでつやつやとして見える。

「おはよーございー!」「はーい、ちょっとよけてもらってい~い?」

「あら、ヨシコおばちゃん、どしたの?」

 キャップを被ったご主人は、呼び込みをしたり、常連さんに声をかけたり、忙しそうだ。細い通り道を、素早く擦り抜ける身のこなし。恰幅のよい身体に似合わず、八百屋という舞台を軽やかに立ち回っている。しかし「おはよーございー!」って。「ます」はどこへ行ったのだろう。もう昼の二時なのに……と細かいところが気にかかる。

 野菜を手に取っては「うーむ」と訳知り顔で眺めるが、内心では大焦りだ。焦りすぎて、小松菜とほうれん草とチンゲン菜がいっしょくたに見えてくる。ど、どれを買えばいい、どれを。

 ある葉物野菜に目がとまった。袋には〈ちぢみゆきな〉と書いてある。茎は小松菜に似ているが、葉っぱは細かなちぢれ模様。緑が濃くて美味しそうだ。

 どうやって食べるんだろう。店の人なら調理法を知ってるんだろうな。うーん、聞いてみる? でもすごく忙しそうだし……と葛藤しながら、横目で観察。すると、にんじんを仕分けるご主人を、メガネのおばさんがつかまえた。

「すいませーん、レディーサラダは入ってないんですかあ?」

 おののいた。私は「レディーサラダは入ってないんですかあ?」なんて聞けない。まず野菜の名前を知らないのだ。

 かれこれ15分ほど店先をさ迷っているものの、カゴに入れたのは、三つで150円のかぶのみ。もうかぶだけ買って帰ろう……と後じさりしていたとき、ご主人が私のカゴの中をチラッと見た。

「こっちの方がおっきいけど、大丈夫?」とかぶの束を二つ取り出し、両手に掲げてみせる。確かにご主人の手にしたものの方が、かぶの肌もふっくらと白く、葉っぱもピンとしている。ご主人は二つのかぶを見比べて「どっちもでっけえなあ〜」と一言。

「あ。えーっと……じゃあこっちに……」

 私が自信なさげに右側のかぶを選ぶと、「そうね。こっちだね!」と力強く同調してもらえて、ほっとする。ずっしりとしたかぶを受け取り、思い切って尋ねた。

「あ、あのっ……これってどういう風に食べたらいいんですか」

 私が〈ちぢみゆきな〉を指さすと、ご主人はよどみなく答えた。

「たとえば、おひたしとか、お味噌汁とか~。まあ、ターサイなので~」

 ターサイ? 知らない単語にどぎまぎする。

「元は中国野菜なの。ニンニクと塩で炒めても美味しいですよ~。青菜炒めね」

 ああ、中華料理屋さんで出てくるあれか、と合点がいく。

「おひたしなんかいいですよ~、やわらかくて!」

 ご主人の口調が朗らかなので、「やってみようかな……」と少し気力が湧いてくる。人から言われてやる気になるなんて、私には至極珍しいことだ。なんだか気味が悪い。

 器量のいい可憐な野菜たちに目が留まる。たらの芽は、葉で身体を大事に抱いており、対で並ぶと雛人形みたい。生のマッシュルームは、くるみボタンのようにコロコロしていて愛らしい。羽ペンの形をした野菜の名は雪うるい。妖精の羽みたいな透き通る黄緑色だ。アスパラを太く短くしたような見た目の祝蕾(しゅくらい)は、呼び名そのものが春の訪れを告げているよう。ニラの束を手に取れば、とがった葉先がふらんとお辞儀する。ふふふ、かわいい。

 レジ袋に野菜を詰めながら、店主はしゃべり続ける。「いまの時期は霜にあたるんで~、ほうれん草とか小松菜とか葉物すごい甘いんですよ~。すんごくおいしいですから~。色々試してみてください!」。申し訳ない。私なんて初めての、ただ一度きりのお客さんなのだから。うつむいて聞くのも失礼な気がして「ハ、ハイ……!」とマフラーの下で声を振りしぼる。

「ありがとうございや~す!」

 こざいやす? ここは「ます」を略さないのか。うーむ。手元のメモ帳にこっそり「ございやす」と書きつけた。

八百屋の適性

 帰宅した私は、ひとまず鍋に湯を沸かす。えっ、出汁用の昆布って10分水に漬けたあとに、30分も煮るの? とレシピ本を手に驚く。気が遠くなりながらも、出来上がった出汁を基に、かぶの豆乳スープを作った。ちぢみゆきなのおひたしを新しい器(結局買った)に盛り付けながら、「がんばって作っても、食べるのは私一人なんだな」と鼻をすする。

 しかし、さらにくたびれる作業が待っていた。料理の写真撮影だ。私は自分で作った料理を美味しそうに撮れた試しがなく、他人の目に触れる場所には一切載せてこなかった。「これで料理したつもり?」とみんなに嘲笑われそうで、ひどく怖いのだ。

 ランチョンマットに配膳し、角度を変えながら撮影。iPhoneの画面の中、白い膝を崩したかぶの姿をうっとりと見つめる。スプーンの位置を直してみたり、箸の先を揃えてみたり、スープをすくってみたり、おひたしにかつお節をふりかけてみたり……気づけばぐったり疲れ果てていた。目の前でスープが湯気を立てているのに、カメラを向け続けるなんて不自然だ。「よく見られたい」という自意識の暴走に呆然とする。

 鼻をすすりながら、かぶを木のスプーンですくい上げ、最初の一口。口の中でほろっと熱いものが崩れた。素朴なやさしい味わいに、独りのさびしさは一瞬でほどけていった。次はおひたし。ちぢみゆきなの葉はやわらかく、茎の方はじんわりと甘い。ほうれん草のような苦味はなくて、小松菜よりもやわらかい。

 スーパーでは、定番の使いやすい野菜ばかり手に取って、あとの野菜など挑戦してみる気も起きなかった。同じように八百屋も、駅の道すがら何百回と素通りしていた。自分の生活には関係ないものとして、無視を決め込んでいたのだ。

 でも、八百屋は誰に対しても開かれていた。私が恐れてきた「試される場所」などではなかったのだ。未知の食材を調理してみたら、見える世界も広がったよう。八百屋のように「おいしいですよ」と価値を請け合ってくれる存在は、一人暮らしの私にとって、とても貴重だ。

 うん……貴重なのは確かだけれど。私の日常で「八百屋の野菜が食べたい!」と思い立つ日など、永遠に訪れない気がする。それは八百屋という場所以前の問題だろう。「自分の欠点をさらけ出すのがイヤ」とばかりに料理写真をインスタグラムで加工する、私のせせこましい見栄っ張り根性に原因があるのかもしれない。不得意なものに手を出して欠点と向き合うくらいなら、いっそ無いものとして扱いたいのだ。

 と、電話が鳴り出した。ひっ、N氏だ。原稿の催促だろうか?

「もしもし、ふづきです。あのっ、すいません……」

「あー、ふづきさん! 八百屋もう一回行ってみませんか!? もうそろそろ菜の花が旬で安くなってきて……」

 ぴしゃっ、と心のシャッターが降りた。え、無理。私には無理。八百屋も、「まっすぐな恋」もぜったい無理。人間には、生まれ持った向き不向きがある。すべての子どもが「はじめてのおつかい」で恐れを克服できるわけではないのだ。

「へえ……。あはは、菜の花が旬……」

 私はN氏の言葉を繰り返しつつ、受話器を耳から少しずつ少しずつ離していった。


初詣から近所の八百屋、海外からストリップ劇場まで、JK詩人からの脱却を図った体当たりエッセイ集!

臆病な詩人、街へ出る。 (立東舎)

文月 悠光
リットーミュージック
2018-02-16

この連載について

初回を読む
臆病な詩人、街へ出る。

文月悠光

〈16歳で現代詩手帖賞を受賞〉〈高校3年で中原中也賞最年少受賞〉〈丸山豊記念現代詩賞を最年少受賞〉。かつて早熟の天才と騒がれた詩人・文月悠光さん。あの華やかな栄冠の日々から、早8年の月日が過ぎました。東京の大学に進学したものの、就職活...もっと読む

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N0a__h 燃え殻さんの『ボクたちはみんな大人になれなかった』をcakesで読んでいた頃、もう一つ読んでいた連載があって。書籍化してて買いたいなって思っています。 文月悠光さんの『臆病な詩人、街へ出る』 https://t.co/rTG8Tb9Vkx URLはすきな八百屋さんでの話です。 6ヶ月前 replyretweetfavorite

luna_yumi 「渋谷新宿のおしゃれな喫茶店」どころか、私は近所の八百屋にも行けなかったんだ…🍅💫 https://t.co/EybzoEp1OF そして自分の恥をエッセイに書いて、それが今や本屋さんで売られている。本屋さんにも平常心で入れないんだ…。どう思う?青年よ。 7ヶ月前 replyretweetfavorite

hymtk7 > 「……うーん。個人商店って、なんだか『試されてる』感じがしませんか」 2年以上前 replyretweetfavorite

YukariWatanabe N氏を知っているだけにクスクス笑いながら読んでしまった。まるで短編小説。 2年以上前 replyretweetfavorite