番外編・国分寺書店にオババがいた時代

前回、前々回と前後編に分けて評してきた椎名誠の『さらば国分寺書店のオババ』。今回の「新しい『古典』を読む」はいつもと趣向を変えて、まだ国分寺書店があったころ、そこで青春時代を過ごしたfinalventさんのエッセイをお届けします。移り変わる時代と、その先に見えてくるもの。ぜひ『さらば国分寺書店のオババ』評と併せてご一読ください。

国分寺書店にいた三人

さらば国分寺書店のオババ (新潮文庫)
さらば国分寺書店のオババ (新潮文庫)

 椎名誠が『さらば国分寺書店のオババ』に書いた「国分寺書店」を私は知っている。店内に入った記憶もある。暗く整然とした図書館のような静謐な空間。高めの天井まで延びる壁の書架には、全集ものを中心に立派な書籍が滑らかな肌触りの組木パズルのように収められていた。神田で見かける専門古書店に似た本格的な古書店が、なぜ国分寺などという片田舎にあるのだろうか。心惹かれる違和感が私にもあった。

 1979年にこの本が出版され、読み、「そういえばあの古書店は無くなってしまった」と思った。無くなったのはいつだったか。正確には覚えていない。店頭で「陶芸店に変わっている」と気づいた記憶もある。気になってその店にも入ってみた。私には場違いなお店だった。

 この本の元になる話が「本の雑誌」5号に掲載されたのは1977年。1957年生まれの私が20歳になった年だ。33歳の椎名誠が当時住んでいた地域の、比較的近所に住んでいた私は、一浪して三鷹にある小規模な大学に通っていたので、国分寺はその乗換駅だった。その年にはもう「国分寺書店」は無かった。三里塚闘争で鉄塔が倒された年でもあった。その激突を描いた椎名誠の親友・沢野ひとしの簡素なイラストには、さりげなく亀和田武が泣いていたと書かれていた。

 その前年、私が一浪した年も国分寺は乗換駅だった。春から新宿の予備校に通っていたからだ。国分寺書店に立ち寄っていたのは、1976年、私が18歳から19歳の年だった。

 1976年、春。四月だったと思う。「一緒に筑波大学に行って人類学を学ぼう」と誓った親友は、さらりと滑り止めの、吉祥寺にある成蹊大学に入った。安倍晋三の後輩になったわけである。しかももう恋人までいた。「なんだよ、それ、ひどいよ」と私は思った。友だちのほうも多少気まずいと思ったのか、話をしようということになった。「しゃれた喫茶店があるからそこで話そう」というのだ。国分寺駅南口のほうにあるという。

 どこで待ち合わせたのかは忘れた。南口改札だっただろうか。長い空中回廊のような南北通路を渡って南口改札を出ると、ロータリーの向かいに、椎名も書いているが、エロ本なども置いている普通の古書店があり、その右に中華料理屋があり、道を挟んで10階建ての「ビジネスホテル・ダイワ」があった。1973年までは大和不動産の建物だった。その後、ホテル最上階の小さなレストランバーにはよく立ち寄った。

 待ち合わせた日は冷たい小雨が降っていた。夕方だっただろうか。国分寺駅南口を出て左に進み、「国分寺書店」の前を通り過ぎ、坂を下った途中の、半地下の喫茶店に入った。しゃれたジャズ喫茶だった。窓側の席に座って、彼のつまらない話を聞きながら、窓の外の雨の風景をずっと見ていた。

 店の名はあとで知った。「ピーター・キャット」。27歳の村上春樹が店主をしていた。そのあとも一回くらい行ったようにも思うが、彼の記憶はない。

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finalvent

「極東ブログ」で知られるブロガーのfinalventさん。時事問題や、料理のレシピなどジャンルを問わない様々な記事を書かれているが、その中でもとりわけ人気が高いのが書評記事。本連載は、時が経つにつれ読まれる機会が減っている近代以降の名...もっと読む

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