小説のモードに入るまでがたいへんで、そのためには驚くほどの時間がかかる。
たとえば『未明の闘争』の冒頭、池袋の街を描写する場面があるんですけど、それは2、3週間かかった。前に近くで勤めていたからよく知っている場所だったとはいえ、もう辞めて20年くらい経っていて、完全に記憶だけで書いています。実際の地理とは記憶違いの部分がたくさんあるのに、それはそれで何かが成り立つんですよ。
保坂さんが例に挙げた『未明の闘争』では、不思議なことが起きている。単行本でいえば1ページ目、のっけから通常なら文法的に破たんしている箇所があるのだ。「てにをは」が狂っているのでは? というレベルであって、誤記や誤植ではあり得ない。文法が合っていることになんて、価値を置いていないとの表明なのだろうか。
あれはわざとやったものだから。こういうふうに書くぞ、と自分に言い聞かせるつもりもあって。読む人に、安定させた視点を持たせてはつまらないでしょう。ずっと居心地を悪くさせようとした。心理学の実験で、吊り橋のうえでいっしょにいた人どうしは、その不安な気持ちを恋の不安定さと勘違いして恋に落ちたりするというのがある。そんなものだと思う。だから、読む人を追い詰めて、居心地悪くさせて、ふつうにゆっくり読むようにはいかないようにしたんです。あと、銅鑼をガーンと鳴らすと、グワングワンと余韻が残る、そのあいだにまた大きな音を鳴らしたい。そんな書き方をしたかった。
正確な言葉、簡潔な言葉を使うというのと、イメージを正しく伝えるというのは、まったく違うことです。僕はとにかく国語的にはだめでも、ちゃんとイメージを伝えたい。
文法すら破りながらイメージの伝達をしようとする保坂さんの執筆姿勢は、過激だ。「正しさ」を疑い、あらかじめ言葉に備わってしまっている権威に与しないよう細心の注意を払う。
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