もし何かを「嫌い」と思ったら
いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。
バーテンダーという仕事をしていると、「ああ、こういう話をずっと聞かされるのってつらいなあ」って感じることがあります。「こういうことを言ってくる上司が嫌い」とか「テレビで見るこういうタレントが嫌い」とか「街で見かけたこういう人が嫌い」といった、「○○が嫌い」という話です。
その人のそのまんまネガティブな発言をずっと受け止めていると、こちらもかなり消耗してしまうので、「どうしてこの人は、その人のことをこんなに嫌っているんだろう?」って客観的に考えることにしています。
みなさんも心理学みたいな本を若いときにいくつか読んだことがあると思うのですが、僕も昔そういうたぐいの本を読んでいて、こんな説に出会いました。
「すべての嫌いという感情は、願望憎悪か同族嫌悪である」
例えば、身近に成功している人がいるとして、「あいつ、どうもいけ好かないなあ」と感じたら、それは「願望憎悪」です。本当は彼のように自分も成功したいけど、そうはなれないから嫌うという感情です。
あるいは、自分も地方出身者なのに、「あいつ、田舎モノなのにあんなにがんばっててみっともないな」って感じたら、それは「同族嫌悪」でしょう。
もちろん、誰かを嫌いと感じる感情って正確にはもっと複雑でいろんな要素があるとは思うのですが、でも、僕の経験上、ほとんどの「嫌い」は「願望憎悪」か「同族嫌悪」という言葉で説明ができるように思います。
僕は「大人になるということは、できるだけ嫌いなことを少なくしていくこと」と常々思っていまして、自分の中で「ああ、あれ嫌いだなあ」という気持ちが芽生えたら、「自分は本当はああいう風になりたいんじゃないかな」とか「自分は本当はあの人と同じ人種なんじゃないかな」と考えて、自分の「嫌い」を戒めることにしています。