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お囃子にあわせて体を動かしたい。その気持ちから、能の稽古を始めた
——青木さんが、最初に能と出会ったのは?
小学3年のとき、親が能の舞台に連れていってくれました。でも、そのときはあまりにつまらなくて、じっと座っていられなかったんです(笑)。台詞も古語だし、舞台上で何がおこなわれているのかわからない。全然、興味が持てませんでした。
——第一印象はあまりよくなかった、と(笑)。でもその後、あらためて能に出会うきっかけがあった?
中学2年のときにテレビを見ていたら、能の特集をやっていたんです。テレビだと、一番いいところを編集して見せてくれるし、わかりやすく解説してくれますよね。そして、能の演目のなかでも派手な「石橋(しゃっきょう)」という演目をやっていたんです。小3で舞台を観た時とは違って、「能っておもしろいな」と素直に思えました。中でも、笛の音などのお囃子がすごくかっこいい。8歳からバレエを習っていたこともあり、「この音に合わせて体を動かしてみたい」という気持ちが自然とわいてきました。そこで、市民向けのカルチャースクールで能の教室を見つけ、行ってみたんです。教室でまず練習させられたのが、謡(うたい)でした。私は踊りたくて参加したので、最初は「歌もやるの?」と戸惑いました。
——それがいまや謡をメインに活動されているのは、おもしろい巡り合わせですね。能を習いながら、バレエも続けられていたんですか?
はい、バレエは大好きでした。でも心のどこかで、バレエダンサーにはなれないだろうなと思っていました。そこまで才能がないと気づいていたし、競争率も高かったからです。そこで、最後の記念にとロシアのワガノワ・バレエ・アカデミーという、世界最高峰のバレエ学校に短期留学をしました。そこで見たのは、7歳くらいの女の子が、脚を前にただ出すという動作を1時間かけて練習している場面。もちろんスタイルも抜群によくて、日本人とは骨格からして違う。本場のダンサーを見て、バレエを続けても先がないとすっぱり諦めることができました。
——そこから高校に進学して、東京藝術大学に進学するんですね。
能の先生に、能楽専攻で東京藝術大学を受験できると聞いたんです。ここから受験のために、能を真剣に学ぶようになりました。当時は能も含めた、芸術全般に興味があったんです。だから評論家になるという道も考えていました。評論家になったら、好きな舞台を存分に観に行くことができるだろう、なんて思っていたんです。今考えると、そんな甘いものではないんですけどね(笑)。そして、東京藝術大学音楽部邦楽科の能楽専攻のクラスに入学しました。
——能をやるというと、どこかの家元に修行に行くという道を想像していました。
私も先生に聞くまで、芸大に能のクラスがあるとは知りませんでした。入学前に考えていたのは、能に限らず新しい芸術を生み出してみたいということ。そのために、ベースとして日本の伝統を学んだほうがいいからと、芸大で能を専攻すると決めたんです。でも入ってみたら新しい芸術を生み出すなんて、とてもとても。同級生は少なく、ほとんどは能の家の出身者。まわりに遅れをとらないよう必死に勉強し、土日は能の舞台を観に行くだけで精一杯でした。ここではとにかく、伝統を守って継承していくことが大事だと教えられていたんです。だったら、最初はその世界に染まろうと腹をくくりました。
photo by Hiroaki Seo
——能を学んで4年経ち、就職活動の時期はどんなことを考えていましたか?
この先どうしようかな、と悩んでいました(笑)。その悩みは、能の家に生まれた子も持っていましたね。もっと言えば、芸大で学ぶすべての学生が持っている悩みなのではないかと思います。自分が学んできた芸術を、そのまま活かせる職業なんてなかなかないですから。
なかでも能は女性が活躍する場が少ないと言われていたので、私は能楽師になるのではなく、研究の道に進もうかと考えていました。それを当時の担当教授に相談したら、「君が研究したいことは、この学校の修士課程でもできるよ」と言ってもらえたんです。だったら、このまま大学院に進もうと決めました。
修士課程に入ったら、学部生の時より少し時間ができました。そして、その教授について本当に能がおもしろいと思える稽古をつけてもらうことができたんです。また同時に、美術系の学部との共同プロジェクトなど、学内でさまざまなコラボレーションの企画に参加するようになりました。
能の舞台は真剣勝負。知れば知るほどはまる芸術
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