キティちゃんは世界で戦える
—— 鳩山さんはサンリオでどういうお仕事をされていたんですか?
鳩山玲人(以下、鳩山) もともとは三菱商事でサンリオのキャラクターの海外展開のお手伝いの仕事をしていたんです。そのうちに、すごく大きな可能性を感じるようになったんですね。けど、やはり外部から関わるだけだと限界がある。内部にいればこのチャンスをうまく活かせるんじゃないかと思って、2008年にサンリオのアメリカ法人に転職したんです。
—— サンリオの海外展開に希望を感じたんですね。
鳩山 2005年くらいに、ブリトニー・スピアーズがハローキティのネックレスをつけてPVに出演して大ヒットしたんですが、それから世界的にキティちゃん人気が高まってくるんです。それまで、例えばトヨタとか、任天堂とかが世界レベルで成功した例というのはあるんですけど、やはり大きな資本を持っていた。その一方で、三菱商事時代から色々なコンテンツに関わってきて、日本では人気があって、グローバルに戦えるブランドってたくさんあるのに、そのポテンシャルほどには広がっていないようなジレンマを感じていました。
—— そのポテンシャルをサンリオの商品に感じたと。
鳩山 ただ、日本人に受けているキティちゃんと、アメリカ人の思っているハローキティって同じものじゃないんです。
—— え、どういうことですか?
鳩山 これは有名な話なんですが、ハローキティって猫じゃないんですよ。
—— ええ、違うんですか!?
鳩山 キティはキティであって、猫じゃないんです。でもこれを英語に訳すと「Hello Kitty is Kitty」。kittyって日本語に訳すと「猫」なんですよ。だからkitty is kittyって言われても、アメリカ人からしたら「だから猫なんでしょ?」ってかみ合わない。
—— キティちゃんは「キティ」という存在という意味ですね。
鳩山 そこがある意味面白いんですが、日本人て擬人化とか擬態とか、「擬」がすごく得意なんです。デフォルメされたキャラクターってすごく日本的で、アメリカだとほとんどみない。
—— ああ、鳥獣戯画の時代からそうなのかもしれませんね。
鳩山 そうそう、日本のクリエイティブって現実から発想が飛び抜けますよね。日本はかわいくないと売れないから、なんでも「カワイイ」にしてしまう。でもアメリカはヒーロー物にしても、アメリカだとキャプテンアメリカとか、アイアンマンとか、スパイダーマンとか、どれも現実世界からそんなに離れない。アメリカで定番の子供のおもちゃで、赤ん坊の人形があるんですけど、本物の赤ちゃんみたいなんですよ。これだと日本では売れないですよね。
—— ありますよね。あれ、ちょっと気持ち悪いです。
鳩山 だからこの感覚を逆にすれば、だいたいアメリカでも通用します。これってデザインだけでなく、笑いのセンスやビジネススキームだったり、あらゆる側面にもいえることなんです。この日本的感覚をアメリカ型に直していくのが最初の作業でした。
ひとりだけ戦場だった日本での仕事
—— サンリオってかなり歴史ある会社ですよね。そのを事業を転換するのはかなり大変だったんじゃないですか?
鳩山 もともと僕が入ったのがサンリオのアメリカ法人だったので、実はそこまで障壁はなかったんですよ。欧米での新規事業を作っていくという感覚だったので。
—— 現場の人達からの抵抗もなかった?
鳩山 そこもやはり欧米の方がチームはどんどん作り変えていく文化があるので、そこまで問題にならなかったです。ただ欧米で成功して国内の事業を担当するようになってからは非常に苦労しました。
—— 例えばどういったことですか?
鳩山 国内はやはり対話を重ねて時間をかけないといけないところがありましたね。ただ、業績が悪かったときは変革に取り組みやすかったです。一方業績が回復した後こそ、変化の必要性や、危機感をもっと共有したかったってことなんですが、結果としては過剰だったかもしれないと今では思うこともあります。
—— そうなんですね。
鳩山 ケネディスクールで学んだ話なんですが、戦場で地雷踏んだ時、足を切らないと生き残れないと言われたらすぐ切っちゃいますよね。でも今病院にいって、お医者さんに足切らないといけないですって言われたら、じゃあ今切りましょうとはなかなかなれない。
—— なんとかならないですか?ってなりますね。
鳩山 僕の中ではずっと戦時だったんです。今でも戦時だと思ってるんですけど(笑)。けど、まわりの見方は平時だったんですね。
—— ひとりだけ戦場にいるわけですね。
鳩山 ベトナム帰還兵みたいなもので、ひとりだけベトナムが忘れられないんですよ。だからなにかあるとひとりで拳銃持って叫んでる。でもみんなは会社の危機はもう越えたと思ってる。もちろん今でも自分がやった施策が間違っているとは思ってないです。でもそれは戦時のことで、5年10年続けていくことを念頭に置かなきゃいけなかったって反省はあります。