人々はアドラーの思想を誤解している
哲人 まず、訂正させてください。先ほどあなたは「真理」という言葉を使いました。しかしわたしは、絶対不変の真理として、アドラーを語っているわけではありません。いわば、眼鏡のレンズを処方しているようなものです。このレンズによって、視界が開ける方は多くいるでしょう。一方、余計に目が曇るという方だっているでしょう。そういう人にまで、わたしはアドラーのレンズを強要しようとは思いません。
青年 おっと、逃げるのですね?
哲人 違います。こうお答えしましょう。アドラー心理学ほど、誤解が容易で、理解がむずかしい思想はない。「自分はアドラーを知っている」と語る人の大半は、その教えを誤解しています。真の理解に近づく勇気を持ち合わせておらず、思想の向こうに広がる景色を直視しようとしないのです。
青年 人々はアドラーを誤解している?
哲人 ええ。もしもアドラーの思想に触れ、即座に感激し、「生きることが楽になった」と言っている人がいれば、その人はアドラーを大きく誤解しています。アドラーがわれわれに要求することの内実を理解すれば、その厳しさに身を震わせることになるはずですから。
青年 つまり、わたしもアドラーを誤解しているとおっしゃるわけですね?
哲人 ここまでの話を聞く限り、そうです。とはいえこれは、あなただけの話ではありません。多くのアドレリアン(アドラー心理学の実践者)は、誤解を入口にして、理解の階段を登ります。きっとまだ、あなたは登るべき階段を見つけきれていないのでしょう。若き日のわたしにしても、すぐに見つけきれたわけではありませんでした。
青年 ほう、先生も迷った時期があったと?
哲人 ええ、ありました。
青年 では、教えていただきましょう。その理解に至る階段とやらは、どこにあるのです? そもそも階段とは、いったいなんなのです? 先生はどこで見つけたのです?
哲人 わたしは幸運でした。アドラーを知ったとき、ちょうど主夫として幼い子どもを育てていましたから。
青年 どういうことです?
哲人 子どもを通じてアドラーを学び、子どもとともにアドラーを実践し、理解を深め、確証を得ていったのです。
青年 だから、なにを学び、どんな確証を得たのかを聞いているのですよ!
哲人 ひと言でいうなら、「愛」です。
青年 なんですって?
哲人 ……もう一度言う必要はありませんよね?
青年 はっはっはっ、これはお笑いだ! 言うに事欠いて、愛ですって? ほんとうのアドラーを知りたければ、愛を知れと?
哲人 この言葉を笑えるあなたは、まだ愛を理解されていない。アドラーの語る愛ほど厳しく、勇気を試される課題はありません。
青年 ぺっ!! どうせ説教じみた隣人愛を語るのでしょう。聞きたくもありませんね!
哲人 あなたはいま、教育に行き詰まって、アドラーへの不信感を表明されている。のみならず、アドラーを破棄する、お前も二度と語るな、とまで意気込んでいる。なぜそこまで憤っているのか? きっとあなたは、アドラーの思想を魔法のようなものだと感じていたのでしょう。その杖を振れば、たちまちすべての願いがかなうような。
だとすれば、あなたはアドラーを捨てるべきです。あなたが抱いてきた、誤ったアドラー像を捨て、ほんとうのアドラーを知るべきです。
青年 違う! 第一に、そもそもわたしはアドラーに魔法など期待していない。そして第二に、あなたは以前こうおっしゃったはずだ。「人は誰でも、いまこの瞬間から幸せになれる」と。
哲人 ええ、たしかに言いました。
青年 あの言葉など、まさに魔法そのものじゃありませんか! あなたは「贋金にだまされるな」と忠告しながら、別の贋金を握らせようとしている。典型的な詐欺の手口です!
哲人 人は誰でも、いまこの瞬間から幸せになることができる。これは魔法でもなんでもない、厳然たる事実です。あなたも、他のどんな人も、幸福へと踏み出すことができます。ただし幸福とは、その場に留まっていて享受できるものではありません。踏み出した道を歩み続けなければならない。ここは指摘しておく必要があるでしょう。
あなたは最初の一歩を踏み出しました。大きな一歩を踏み出しました。しかし、勇気をくじかれ、歩みを止めたばかりか、いま引き返そうとされている。なぜだかおわかりですか?
青年 わたしに忍耐力がないとおっしゃるのですね。
哲人 いいえ。あなたはまだ、「人生における最大の選択」をしていない。それだけです。
青年 人生における、最大の選択!? なにを選べと?
哲人 先ほども申し上げました。「愛」です。
青年 ええい、そんな言葉でわかるか! 抽象に逃げないでください!!
哲人 わたしは真剣です。あなたがいま抱えられている問題は、すべて愛のひと言に集約されていくでしょう。教育の問題も、そしてあなた自身が進むべき人生の問題も。
青年 ……いいでしょう。これは論駁しがいがありそうだ。では、本格的な議論に入る前に、ひと言だけ申し上げておきます。先生、わたしはあなたのことを、まごうことなき「現代のソクラテス」だと思っているのですよ。ただし、その思想においてではなく、その「罪」において。
哲人 罪?
青年 なんでもソクラテスは、古代ギリシアの都市国家・アテナイの若者たちをそそのかし、堕落させた嫌疑によって、死罪を言い渡されたそうですね? そして脱獄を持ちかける弟子たちを制し、自ら毒杯をあおってこの世を去った。……おもしろいじゃありませんか。わたしに言わせれば、この古都でアドラーの思想を説くあなたも、まったく同じ罪を抱えておられる。つまり、世間知らずの若者を言葉巧みにそそのかし、堕落させている!
哲人 あなたはアドラーにかぶれ、堕落してしまったと?
青年 だからこそ、こうして決別の再訪を決意したのです。わたしはこれ以上、被害者を増やしたくない。思想的に、あなたの息の根を止めておかねばならない。
哲人 ……長い夜になります。
青年 しかし、今晩中、夜明けまでには決着をつけましょう。もう、何度も訪ねるまでもありません。わたしが理解の階段を登るのか。あるいは、あなたの大事な階段ごと打ち壊してアドラーを捨て去るのか。ふたつにひとつ、真ん中はありません。
哲人 わかりました。これが最後の対話になるでしょう。いや……どうやら、最後にしなければならないようです。
次回は2月22日(月)更新予定
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