左:伊藤さん。障害を身体論的にアプローチする美学研究者。一児のお母さんでもある。
右:難波さん。中途失明の全盲者で鍼灸師。薬膳研究や合気道など幅広く活動している。
下:モナミちゃん。難波さんのパートナーをつとめる盲導犬。治療院「るくぜん」看板娘。
音がビジュアル化する、難波さんの見えない世界
—— 前回は伊藤さんの「身体論」について伺いましたが、難波さんにとってはどうですか?
難波 僕は学がないので難しい話はできませんが、身体論が身体を通して世界を「見る」という、世界の見方なのだとすると、まさしく僕の見えない状態っていうのは、身体を通して世界を“見ている”んだなと思うんですよね。
伊藤 音だけで壁があるのがわかるとか。
難波 なんとなくね、圧迫感のような……。触らなくても、この辺に壁があるというのを感じることがある。音がないから壁がある。
—— 音が「ない」から壁が「ある」?
難波 壁以外のほうからは音の響きや反射があって拡がりがあるんですけど、壁のほうは遮られるから音が相対的に「ない」。だから壁が「ある」ことがわかるんです。
—— おお、そんなことがわかるんですね!
難波 もちろん最初からできたわけではなくて、身体が失敗を通して勝ち取ってきたものですね。ベテランの視覚障害者の人ってみんな、教えられなくてもトイレの場所がだいたいわかるんですよ(笑)。でもなぜみんな、そんなことができるのか、見えなくなって3、4年の頃までは疑問でした。当時の僕にとって音はまだ、意識的に聞くものだったので。
伊藤 うんうん。
難波 いまでこそ、話しながら、人が動く流れとか、水洗の音とか、いろんな音を聞いて、後で使える情報を集めておく、みたいな芸当が自然にできるようになりました。「耳で眺める」という感じで景色が見えてきたんですけど。
伊藤 あ、「耳で眺める」と言えば、この間すごくおもしろい話をきいたんです!
難波 なになに。
伊藤 ブラインドサッカー選手のインタビューで、中途失明で全日本代表になった人に話をきいたのですが、その人は自分の前に選手が3人立っているなと思ったら、人間っぽいものが3つ「見える」らしいんです。つまり、音の情報が視覚に変換される。
そこでおもしろいのは、視覚的に変換されるのが、自分の前からきた音だけだということです。同じ音の情報でも、背後からきた音はイメージに変換されないらしい。不思議ですよね。
難波 へえ。前だけなんだ。
伊藤 そう。「見る」という知覚は前だけにしか成立しないという条件が、見えなくなってからもずっと残りつづけるんでしょうね。サラウンドで全方位が全部ビジュアル化されたら、かっこいいけどね(笑)。
難波 ははは。
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