1989年のテレビっ子

1989年」にテレビでなにが起こったのか【前編】

1989年は『オレたちひょうきん族』が終わり『ガキの使いやあらへんで!!』が始まった年。「てれびのスキマ」こと戸部田誠さんによる新刊『1989年のテレビっ子』は、 “テレビが変わった”1989年を軸に、多くの芸人などの青春時代を膨大な資料から活写した青春群像劇です。
初回は、本書の「まえがき」より、一昨年、多くの「テレビっ子」たちの目を釘付けにし、そのタイムラインを騒がせたあの重大事件「いいともグランドフィナーレでのあのシーン」から。超大物芸人たちがずらりと居並んだあの光景の源泉は、1989年にありました――。

『いいとも』の「グランドフィナーレ」という、ひとつの時代の終焉

「長い!」

 ダウンタウンの浜田雅功は、相方の松本人志と盟友のウッチャンナンチャンを引き連れ、スタジオにそう叫びながら入ってきた。

 そのスタジオでは、タモリと明石家さんまが約30分にわたり丁々発止の雑談芸を繰り広げていたのだ。浜田はもう一度「長いわ!」と繰り返すと、さんまの口元にガムテープを貼り付けた。その横ではウッチャンナンチャンがタモリと思い出話に花を咲かせている。話を遮るように唐突に松本が言った。

「とんねるずが来たらネットが荒れるから!」

 その発言から約5分。今度はとんねるずが颯爽とスタジオに乱入。会場はどよめいた。並び立つことがなかったライバルの二組、ダウンタウンととんねるずが同じステージに立ったのだ。

 程なくして今度は「荒れろ、荒れろ!」と爆笑問題も入ってきた。〝犬猿の仲〞と噂されていた松本と太田がステージ上で目配せをしていた。

 そしてナインティナイン、SMAPの中居正広、最後に笑福亭鶴瓶までがステージに揃うという夢のような光景が繰り広げられた。


 2014年3月31日。

 約32年にわたり放送されてきた『笑っていいとも!』(フジテレビ)が終了した。

 その「グランドフィナーレ」には、テレビ界のトップに君臨するスターたちが集結した。共演することはないと思われていた組み合わせがタモリの元に集まったのだ。

 ありえないような奇跡の共演が実現した光景を見て「フジテレビの最終回」、「テレビの葬式」などと形容する者もいた。

 確かにその光景に、青春時代の終焉を感じた。どこか物悲しさすら覚えた。いや、とっくに青春は終わっていた、というほうが正確だろう。同窓会に行くと、青春時代の思い出がパッと蘇るように、あの時、一瞬その当時に戻ったかのような、青春の煌めきがあった。青春時代、ともに手を取り合いながら、あるいは反目しながら戦った戦友たちとの一瞬の邂逅。ほんの一瞬だったからこそ、その儚さに胸が締め付けられるような思いを抱いたのだ。

 テレビ史的に見てもこの『いいとも』の「グランドフィナーレ」は、あるひとつの時代の終焉を象徴していた。結論から言えばそれは1980年前後から築かれ、1989年にその基礎が完成したと僕が考える〝平成バラエティ〞の最後だ。

 その1989年、やはり象徴的番組が最終回を迎えている。その最終回は『いいとも』「グランドフィナーレ」を思わせるようにスターたちが一同に会していた。

 『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)である。

 「忠臣蔵」を舞台にして、ビートたけしや明石家さんま、山田邦子、島田紳助をはじめとするレギュラー陣が番組名物キャラに変身し、かつての人気キャラも次々に復活して夢の〝共演〞が実現していた。スターたちがコントキャラクターに扮して集結したこの最終回は、いわば、前時代的なバラエティからの完全な決別と、新たな時代のバラエティの誕生を祝うものだった。

 小林信彦は1961年からの10年余りを「テレビの黄金時代」と称した。渥美清、クレイジー・キャッツ、坂本九、青島幸男、前田武彦、そしてコント55号らがテレビに新しい息吹を吹き込み、『シャボン玉ホリデー』、『巨泉× 前武ゲバゲバ90分!』(ともに日本テレビ)など革新的な番組を作り上げた。さらにその後方からザ・ドリフターズが台頭していった。しかし一方で、1970年代は「歌手」こそがテレビの中心。「笑い」は添え物、脇役にすぎなかった。それを対等の位置にまで引き上げたのが70年代後半の萩本欽一やドリフターズだ。だが、彼らはいわば特別な存在。テレビ界全体の序列は変わらなかった。一部の例外を除き、テレビ界は、特にバラエティ界は黄金時代の賑やかさや熱は失われ、停滞していた。

 それを一気に変え、お笑いをテレビの中心にしたのが、1980年に興った「マンザイブーム」だった。ブームはすぐに収束するが、それを引き継いだ『オレたちひょうきん族』を中心とするお笑い番組とその出演者たち芸人が時代を変えたのだ。

 山藤章二はマンザイブーム以降、お笑いは「フィクションからノンフィクションの時代になった」と評している。70年代までのお笑いは、作家の作った漫才台本通りに演じていたことが象徴するように、本人とは乖離したキャラクターを演じたフィクションの世界だった。それをマンザイブームは否定した。漫才師本人の人間性をそのままむき出しにした漫才で若者の心を掴んでいったのだ。そしてマンザイブームが終わると、その本人の人間性そのものをキャラクターに昇華できたものだけが生き残った。それが、ビートたけしであり、島田紳助であり、明石家さんまだった。

 1989年、『ひょうきん族』のメンバーはそれ以降の活動を予見するように、それぞれの道に進んでいく。ビートたけしは初監督作品となる映画『その男、凶暴につき』を公開。島田紳助は政治番組『サンデープロジェクト』(テレビ朝日)の司会を始める。明石家さんまは大竹しのぶとの間に子供が生まれ、タモリやたけしのコバンザメキャラからの脱却を図り、各番組でのポジションを変えていっていた。

 新しい世代がテレビの中心に姿を見せ始めたのも1989年だ。

 この年、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンが『笑っていいとも!』のレギュラーに抜擢され、彼らの出世作であるユニットコント番組『夢で逢えたら』(フジテレビ)が深夜の関東ローカルから、プライムタイムの全国放送に昇格した。

 一方、とんねるずは時代の寵児になっていた。彼らが司会を務めた『ねるとん紅鯨団』(フジテレビ)が裏番組であったタモリの『今夜は最高!』(日本テレビ)を終了に追い込んだ。そして、前年にスタートした『とんねるずのみなさんのおかげです』(フジテレビ)も熱狂的な人気を獲得し、89年にはバラエティ番組年間平均視聴率の第一位を獲得。やはり裏番組の『ザ・ベストテン』(TBS)を駆逐した。

 その『ザ・ベストテン』の終了はテレビにとって大きな意味を持っていた。歌番組中心というテレビの序列は完全に崩壊し、「大衆のもの」だった歌謡曲は事実上息の根を止めた。昭和の大スター美空ひばりの死去も象徴的だ。「アイドル」は手に届かない存在から、隣にいそうな存在へと変わり、その活躍の場は歌番組からバラエティ番組へと変わっていく。その転換期に産み落とされたのがSMAPだった。

 同じ89年、『三宅裕司のいかすバンド天国』(TBS)を契機に「イカ天」ブームが到来する。歌は「大衆」から「特定の層」に向けられるものになった。歌だけではない。たとえば、前年から始まった深夜ドラマ『やっぱり猫が好き』(フジテレビ)には、この89年から三谷幸喜が参加する。小劇場ブームから生まれた人材がテレビ界の中に入っていった。

 これらがテレビ界で起こったのがすべて1989年だったのだ。現在まで続く、〝平成バラエティ〞の中心人物が出揃い、その基礎が完成した。奇しくもそれが「平成」と元号を変えた年だった。

 また社会的な事件に目を向けると、宮崎勤が逮捕され「オタク」という存在に注目が集まったのもこの年だ。オウム真理教が初めて教団外に被害を出した犯罪(坂本弁護士一家殺害事件)に手を染めたのも1989年だった。

たけし、さんま、タモリ、加トケン、紳助、とんねるず、ウンナン、ダウンタウン……テレビっ子の青春期

この連載について

1989年のテレビっ子

てれびのスキマ(戸部田誠)

1989年は『オレたちひょうきん族』が終わり『ガキの使いやあらへんで!!』が始まった年。『ザ・ベストテン』が裏番組の『みなさんのおかげです』に追い落とされた年。“テレビが変わった”1989年を機軸に、お笑い第三世代ほか、多くの芸人とテ...もっと読む

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consaba 『いいとも』の「グランドフィナーレ」という、ひとつの時代の終焉  #ss954 #radiko 約1年前 replyretweetfavorite

nazenazeboy "山藤章二はマンザイブーム以降、お笑いは「フィクションからノンフィクションの時代になった」と評している。" 約1年前 replyretweetfavorite

kentaro_fujii 「SWITCHインタビュー」千原ジュニア×阪本順治×辰吉丈一郎。千原兄弟デビュー、辰吉プロデビュー、「どついたるねん」での阪本順治監督デビューは全て 約1年前 replyretweetfavorite

toshi0104 #neta #tv |1989年のテレビっ子 |てれびのスキマ(戸部田誠)|cakes(ケイクス): 約1年前 replyretweetfavorite