ハンガリー出身、38歳の新人監督ネメシュ・ラースローが撮った長編デビュー作『サウルの息子』が、カンヌ国際映画祭のグランプリ*1を受賞したのは、2015年5月。その後、同作は今年に入って日本でも公開され、映画評論家の町山智浩や、ミュージシャンの宇多丸らの高い評価もあり、映画ファンのあいだで話題となっている。
舞台となるのは、1944年のポーランド。アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で働かされる、ひとりのユダヤ人男性を追った物語である。主人公はゾンダーコマンド(特殊任務部隊)と呼ばれる役割を担わされている。収容所に到着したユダヤ人同胞をガス室へ連れていき、殺害後に死体を焼却するという、想像を絶する仕事だ。ナチスドイツによるユダヤ人殺戮がもっとも激化した終戦直前の強制収容所。主人公は、ガス室で亡くなった息子をユダヤの教義に従って埋葬したいと言い出し、周囲を困惑させる。死体はすべて焼却する決まりがあり、所内のユダヤ人が勝手な行動に出れば即射殺の可能性もあるためだ。それでも主人公は息子の埋葬にこだわり、収容所で悪戦苦闘するのであった。
「観客を強制収容所のまっただ中へ連れていきたい」*2という監督自身の言葉の通り、見る者にアウシュヴィッツを体感させる作品である。監督は、強制収容所を題材にした作品の多くが、ヒーローや生存者を中心にすえた「物語」になっている点に不満を覚えていたという。強制収容所というこの世の地獄を、わかりやすいヒーローの物語に変えてしまっては、本質を見失うと監督はいうのだ。
結果として『サウルの息子』は、物語性をできるかぎり排し、長回しを多用しながら手持ちカメラで登場人物を追う体感型の映画となった。カメラは主人公の背中にはりついて離れず、彼が収容所内を移動するなかで見える光景や、聞こえてくる音を観客へ伝えていく。この迫真のカメラワークによって、観客はまさにアウシュヴィッツの内部へと連れていかれるのだ。
さらに映像が真実味を持つのは、そのどれもが断片的で、ピントがぼやけていたり、全体像が見えなかったりする点にあるだろう。監督の意図によって、あらゆる状況はあいまいにしか提示されない。「何か確実に凄惨な状況がそこにある、しかしはっきりとは見ることができない」という演出には、アウシュヴィッツという地獄の本質が垣間見えるようである。本当の恐怖を直視することなど誰にもできない。感情を遮断する以外に、生きのびる手段はないだろう。