同性愛者の楽園だったイスラーム!? イスラームの少年愛【後編】

性、特にホモセクシャルに対して抑圧的な印象のあるイスラム教。しかし、近代イスラムは欧米の同性愛者がホモフォビアの蔓延する故郷から逃れる逃避地になっていた!?
劉邦の宦官』や『九度山秘録』で話題の、新進気鋭の歴史小説家・黒澤はゆまが、歴史のなかの美少年を追って世界中を飛び回る人気コラム!

美少年はみな俺のもの、征服王メフメト二世

14世紀になると、中国亜大陸の北方からアナトリアへ、馬蹄をとどろかせて来襲したトルコ人が、アラブ人に変わって、イスラム世界の主役になりました。

彼らが打ち立てたオスマントルコは、東はカスピ海、西はアルジェリア、北はブタペスト、南はエチオピアまで版図を広げる大帝国になりました。

このオスマントルコ帝国の全盛期を築いたスルタンが、征服王の異名を持つ、メフメト二世です。

メフメト二世は、秀でた鼻と、凍てついた瞳を持つ、青年王でした。彼はイスラム教の狂信と、遊牧民としてのトルコの野生、ギリシャ・ローマから受け継いだ科学的精神を、一つ身のなかにあわせ持ち、キリスト教世界に対する最大の敵と恐れられていました。

1453年、彼はコンスタンティノポリスを陥落させ、1000年以上の歴史を誇る東ローマ帝国を滅ぼすのですが、この時、ハギア・ソフィア大聖堂に避難した人々のうち、見目麗しい若者は男女問わず裸にされ、全員が強姦されたと言います。

特にトルコ兵達は、美しい青年にご執心で、中には取り合いになって、体をバラバラに引き裂かれたものもいたとか。

メフメト二世も、捕えた東ローマ帝国の貴族の子弟のなかで、とりわけ美貌のものを、自分の小姓のコレクションの一員に加えました。しかし、東ローマ帝国屈指の名門貴族で、占領したコンスタンティノポリスの総督にするつもりだったノタラスという男の子供は、類まれな美しさの持ち主でありながら、身を差し出すことを断り、癇癪を起したメフメト二世は、ノタラスもその子供も全員殺してしまったといいます。

誘拐されたキリスト教徒の少年たちの仇を討ったドラキュラ公
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なぜ闘う男は少年が好きなのか

黒澤 はゆま
ベストセラーズ
2017-03-18

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なぜ闘う男は少年が好きなのか?

黒澤はゆま

洋の東西を問わず、戦乱の時代に決まって栄えた<少年愛>。死を賭して戦う英雄の側近くに控える、あるいは金髪の、あるいはブラウンの、あるいは黒髪の少年たち――。戦士は少年に何を求め、少年は戦士に何を答えたのか。時に英雄を生むこともあった、...もっと読む

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コメント

munya086 『現在のイスラム教の国々で見られるホモフォビアは、植民地時代にイギリスの残したビクトリア式性道徳と、独立の闘士たちの抱いた欧米コンプレックスとのキメラであり、なんらイスラム的要素はないかと思います。』 約4年前 replyretweetfavorite

skbluegreen ドラキュラ伯爵エピソード。なるほどー。 約4年前 replyretweetfavorite

speckled_monkey ホモフォビアの原因にキリスト教圏の文化の影響がちょいちょい指摘されるけど、実は聖書も明確には戒律として 約4年前 replyretweetfavorite

Tomokyo_ 毎回楽しみにしているコラム。 こういう歴史が知りたいんだ。 約4年前 replyretweetfavorite