ひげのない少年に用心せよ! ムハンマドも知っていた美少年の魅力
2015年3月、ネット上で衝撃的な画像が全世界に拡散しました。
その写真には、同性愛者の男性が、ビルの屋上から突き落とされたうえ、群衆による投石でなぶり殺しにされる、一部始終がおさめられていたのです。悪名高いISILの発信したものでした。
同組織は、9月にもシリアで同性愛者10名を銃殺しています。
彼らは教祖ムハンマドの言行録であるハディースに、ムハンマドが同性愛者を石打ちで処刑したと記録されていることを、自分たちの蛮行の根拠としているようですが、さてどうでしょう。もともと、ハディースは雑多な伝承の集成で、それが真実であるかどうかは、客観的に検証不能なところがあります。
イスラム教で最も重要な聖典であるコーランを読むと、アラーが啓示した天国の描写に「永遠の若さを保つ少年が客人の間を巡り、高坏や輝く水差し、くみ立の飲み物の入った盃を捧げる」とあり、女性だけでなく、少年も性愛の対象となることがほのめかされています。
また、ムハンマドも属したクライシュ族は、男色の受け手になることを好む人が多かったという話もあります。
そもそも、25歳の時、15歳年上のやり手で富裕なあねさん女房と結婚したことが、飛躍のきっかけになったムハンマドは意外にフェミニストなんですね。コーランを読むと、「当時としては」というカッコ書きはつくものの、女性に対するいたわりと配慮がいたるところで見られます。女性やマイノリティに対する非寛容・抑圧の総本山になった感のあるイスラム教ですが、少なくとも教祖のムハンマドは、21世紀の現在、末裔を称する方たちとは似ても似つかない人だったようです。
ちなみに、ちょっと微妙な話になりますが、ムハンマドは美男子にも目がなく、特に知勇に優れると共に、美貌の持ち主だった愛弟子ムアーズに対する執心は並々ならぬものがあったとか。彼は少年の魅力にあらがえない自分自身を戒めてか「髭のない少年に用心せよ。少女よりも大きな混乱をそなたらにもたらす」という言葉も残しています。
深入り危険なネタなので、ムハンマドの話はこれくらいにしときますが、もともと、イスラム教の栄えた中近東地域というのは、少年愛の盛んな土地でした。
ローマの歴史家プルタルコスは、ペルシャには宦官を寵愛する風があったと語っていますし、アウグストゥヌスはじめとするローマ皇帝たちは、シリアの美少年を血眼になって探し求めました。前回、ローマ編の主役だった、ハドリアヌス最愛の伴侶、アンティノウスも、小アジア、現在で言うトルコの出身でしたね。
そして、偉大な預言者の教えが広まった後も、この地に生まれ育ったイスラームの民たちは、男同士の性愛をおおらかに楽しみ、そして美しい詩にしたのです。
今回はイスラームの少年愛の歴史について、主に中近東を舞台に、その草創期から現代まで概括的にお話していこうと思います。
征服の原動力となった男色
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