新年あけましておめでとうございます、と言うのも今さらの感はありますが。正月は本棚に前世紀から置いてあるリンドレー『太平天国』(平凡社/東洋文庫、全4巻)なんかを消化しておりましたよ。アヘン戦争前に清朝中国を震撼させた、かのキリスト教系集団による一大反乱である、太平天国の乱。それを太平天国軍に追随したイギリス人が見た、密着ルポ。高潔で有能な太平天国首脳部に対し、無能で堕落した清朝の満州人どもを罵倒し、それに肩入れしたイギリスの節操のなさをとことん批判していて、おもしろいんだけど、いささか冗長。まあちょっとマニアックすぎる本なので、ここではこれ以上は触れないでおこう。
かわりに、マクニール『世界史』を。ウィリアム・H・マクニール『世界史』(中公文庫)は、なんだか去年の4月あたりに丸善本店でベストセラーかなんかになっていた。たぶん、どこかで新入生や新入社員向けの基礎教養本として紹介されたのだろうと思う。確かに、非常に網羅的で読む価値は十分……なんて利いた風な口をききたかったところだが、実はこの本、買っただけで、読んでなかったんだよね。有名な本だし、ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』(草思社文庫、上下)の参考文献にも挙がっていたから、いつか読むつもりではあった。でも世界史のおさらいで、斬新な観点とかもあるわけじゃなさそうだったし、積ん読状態になっていた。
ところが、昨年末、同じマクニールによる、同じ題名の『世界史』という本が出た。なに、増補版とかなの? どう変わったの? そう思って、いい機会だから両方を読み比べてみたのが今回のメインテーマ。
では、まず文庫版のほうから。文句から言うと、翻訳は固有名詞のカタカナ表記がやたらにオリジナルにこだわりたがるのでちょっと辟易。ニクソン大統領を「ニクスン」にしなくてもいいんじゃないでしょうか。しかも必ずしも原音表記というわけじゃなく、むしろ英語圏に偏った発音優先になっている。これはマイナス。その他訳文としてはバリ硬で、改善の余地はある。が、何を言ってんのか、まったくわからなくなるような部分はない。
そして本としての内容はすばらしい。世界史を一つの流れとして捉えようという試みで、予想通り新しい視点や分析は特にない。別に「実はピラミッドは、うちゅーじんが~」なんてことは書いてない(あたりまえだけど)。でも、いろんなできごとをバランス良くとらえ、相互の関係も押さえつつ断片的な事象の散漫なコレクションに終わっていないのはすごい。世界史の教科書の多くは無味乾燥だけれど、本書はきちんと読み物になっている。
そして、その中でもちゃんと何が「世界の」歴史を形成してきたか、という視点があり、全体の構成にしっかりした枠組みを与えている。たとえば、本書は日本についての記述が異様に多い。昨今は、ネトウヨのにわかナショナリストたちが、日本こそなんでも世界一と讃えるようなウリナラ(我が国)史観を平然と振りかざす。だけど、世界史の流れから見れば、日本なんて基本は偉大な中国文化の周縁辺境文化の一つでしかない。そしてまた世界史において、西洋近代化の恐るべきパワーは歴史形成の最大の力だし、世界の既存文化がそれにどう応えたかが、近現代史のすべてと言っても過言ではない。
日本は世界のあらゆる非西洋文化圏の中で、西洋文明の受容を最も見事に実現してしまった希有な文化だ。その背景には、それに先立つ時代に恐るべき中国文明の影響を受けつつ、吸収してきた文化的な経験がある。だからこそ、この数百ページに及ぶ上下巻の著作の中で、タイ(シャム)は数行、朝鮮はないも同然なのに、日本だけは数ページ割いて詳しく記述する価値があるわけ。