リディアは玄関ホールに視線を向け、家のなかに通してもらっていないことをわからせようとした。リディアがわかっていないのは、姉の目を通して冷たく魂のない家を見られるのが耐えられないということだ。
「お願い」クレアは懇願した。「お願い、ペッパー。教えて」
こんなことは自分の時間の無駄遣いだというように、リディアは両手を上げた。それでもこう言った。「あいつの車に乗っていたの。ロードスターよ。ポールはわたしの膝に手を置いた。わたしはそれをふり払った」
クレアは自分が息を止めていたことに気づいた。「それだけ?」
「ほんとうにそれだけだと思う?」リディアは怒ったように言ったが、それも当然だとクレアは思った。「ポールは運転を続け、わたしはこう思った。いいわ、妹の負け犬の彼氏がわたしの膝に手を置いたことなんて忘れましょう。でもそのあとポールは知らない道に入っていって、気がつくと森のなかにいた」リディアの声が小さくなった。クレアを見る代わりに、肩越しのなにかを見ていた。「あいつは車を停めた。エンジンを切った。どういうことかと訊いたら、拳で顔を殴られたわ」
クレアは自分の拳を握った。ポールは一度も人を殴ったことはないはずだ。路地で蛇男と戦ったときですら、パンチを繰りだすことはなかった。
リディアは続けた。「気が遠くなったわ。あいつはわたしにのしかかろうとした。わたしは抵抗した。ポールはもう一度殴ろうとしたけど、わたしはさっと頭をよけた」と俳優が観客を納得させるようにわずかに頭を動かした。「ドアの把手をつかもうとした。どうやって開けたのかわからない。わたしは車から転がりでた。ポールがわたしに馬乗りになった。わたしは膝を持ちあげた」そこで言葉を切った。クレアは昔受けた護身術のクラスを思いだした。インストラクターからは急所を膝蹴りして男の動きを封じることを当てに しないほうがいいと教えられた。狙いを外し、相手をいっそう怒らせる可能性が高いからだ。
リディアは続けた。「わたしは走りだした。五メートルか十メートル走ったところで捕まった。地面に顔をぶつけたわ。それからポールがまた馬乗りになった」そこで床を見下ろした。自分を弱々しく見せるためにやっているのだろうかとクレアは思わずにはいられなかった。「息ができなかった。あいつは全体重をかけてきた。肋骨が曲がって折れるんじゃないかと思った」リディアは脇腹に手を当てた。「そのあいだポールは言いつづけていた。“やってと言え”って」
クレアは一瞬心臓が止まりかけたのがわかった。