どうして哲学者が会社を立ち上げたのか
加藤貞顕(以下、加藤) 今日は、cakesの3周年企画「メディアビジネスの未来」というテーマで、東さんと会社「ゲンロン」の多岐にわたるビジネスついて、お話を伺えればと思います。
東浩紀(以下、東) それは光栄です。よろしくお願いします。
加藤 東さんは思想家・作家として活躍する一方、「ゲンロン」という会社をつくられました。雑誌を出したり、ゲンロンカフェというイベントスペースを運営してさまざまなトークイベントを行ったりしていますよね。先日は『思想地図β』の後継といえる新しい批評誌『ゲンロン』を創刊されました。批評家であり作家である東さんが、なぜわざわざそんなにたいへんそうなことをしているのか? その背景を伺えればと思います。
東 ははは。そうですよね。たいへんなんです(笑)。
加藤 ですよね(笑)。ということで、まずは会社「ゲンロン」を立ち上げた経緯から教えてもらえますか?
東 ゲンロンを立ち上げたのは2010年の4月です(当時の社名は「コンテクチュアズ」)。2010年は、朝日新聞の論壇時評をやったり、『クォンタム・ファミリーズ』という小説で三島由紀夫賞をいただいたりと、今思えば人生の転機になった年でした。
そんなときに、気の合った仲間と、メインの活動とは別に同人誌のようなものをつくりたいというところから始まっています。
加藤 へえ。じゃあ、仲間内での活動みたいな感じだったんですか。
東 そうですね。とはいえ、創刊号の『思想地図β』はかなり真剣に作ったんです。そうしたらけっこう話題になって売れたんですよね。
加藤 「新感覚言論誌創刊」と帯に書かれていましたね。ぼくも買いましたし、よく覚えています。
東 創刊号が売れたお陰でキャッシュも入って、オフィスも借りられるようになった。さあ、これから何ができるかな、というときに東日本大震災が起こったんです。
加藤 ああ。そうでした。
東 本当は小さく趣味的にやりたかったんですけど、時代の流れに巻き込まれる形で、趣味的な活動ではなく、だんだんメインの活動になっていった感じです。
『思想地図β』vol.2「震災以後」をはじめとして、「福島第一原発観光地化計画」や「チェルノブイリへのダークツーリズム」など、震災後の日本の行く末について考える企画をいろいろ組んでいます。
加藤 今は会社をつくって、そういった多岐にわたる活動をされていますが、それって珍しいですよね。東さんみたいな哲学者や批評家は、大学の教授とかになる人が多い気がします。
東 一時期は大学で教えていた頃もあるのですが、基本的に大学っていうのが僕は合わないんですよ。
加藤 ははは。大学は合わないんですか?
東 大学って、一言で言うと強固なムラ社会なんですよね。その閉ざされたコミュニティがホントに嫌なんです。徹底的に肌が合わない。大学人も、30代、40代になると、自分の身の振りや就職のことしか気にしていない人ばかりですしね。
だから、ゲンロンでは、大学に代わるような「新しい知のプラットフォームを」といった看板を掲げています。とはいえ実際は、自分が気持ちよく活動していく場所を自らつくろうっていうのが、会社をつくった一番実存的な動機ですね。
加藤 なるほど。とはいえ、東さんともなれば作家として出版社から本を出したり、イベントを主催することはいつでもできましたよね。実際にそうしている人も多いと思います。それでも、会社をつくってやっているのはなぜですか?
東 それはやはり、継続性=サスティナビリティの問題でしょうね。個人で単発でイベントを開いても、なかなか長期的なムーブメントにはならない。本拠地を持って、長い間同じことをやっている人たちに、人はついてくる。
そのために、やっぱり組織を立ち上げて継続的にブランドを育てることは大事です。今回批評誌を、『思想地図β』から『ゲンロン』にして再創刊したのは、うちの事業を「ゲンロン」というブランドに集約するということなんです。
ネットの力を信じて会社を始めたけれど
加藤 会社にすることで、継続してブランドを育てるということは、以前から考えていたことですか?
東 いや、最初は何もわかっていませんでした(笑)。そういう発想になってきたのは3年前ぐらいでしょうか。それまでは僕もゲリラ的にいろいろなイベントをやっていたし、雑誌にしてもイベントにしても、毎回決算して、きれいさっぱり解散でいいと思っていました。
それこそ、インターネットで「動員」して、みんなで何かを「シェア」すればいいと信じていました!(笑)