芸能界の有事に平静を保てるか
今週末から仕事でフランスへ行く(ので来週は休載します)ことになったので、図書館へ行き、中村江里子と雨宮塔子がそれぞれフランス生活を綴ったエッセイをめくる。こちらからは何も申し上げてないのに、「いやいやそんな、オシャレな生活だなんて言わないでください。この街と正直に向き合ってきただけなんですから」と返答されているようなプレッシャーを感じる。平日の図書館の分館に人は少なく、自由に座れるスペースには、武田とお爺さんとお婆さんしかいない。その2人は夫婦のようで、黙って1冊の女性週刊誌を眺めている。サン・テグジュペリの名言「愛する——それはお互いに見つめ合うことではなく、いっしょに同じ方向を見つめることである」みたいな状態でSMAPの分裂危機報道を見つめている。
お婆さんがお爺さんを見て「まさかSMAPがこんなことになるとはね」と言うと、お爺さんはお婆さんを見て「数年前からこうなると思っていた」と返し、その後は一言も喋らず、再びサン・テグジュペリ状態に戻った。お爺さんはSMAPの何を知っていたのだろう。数年前に何があったのだろう。SMAPの分裂騒動に全国民が動揺しているが、このお爺さんに限っては少しも動揺していない。家に帰ってワイドショーをザッピングすると、どの局も押し並べて動揺している。「不確定な情報ながら」と前置きしながら「その可能性は高い」と述べた後で「不確定な情報ではありますが」と差し戻し、芸能界の有事に平静を保っていてはいけないという共有だけが続いていた。
「本当に売れている人は、話題になったりしない」
私のように、比較的テレビの前にいる時間が長い生活をしていると、中村江里子のフランス生活や、ピーター(池畑慎之介)の別荘や、デヴィ夫人の豪邸を、何度も見ることになる。こういった「特別に公開」が反復される矛盾を見届けるのはなかなか辛いのだが、それでも最後まで見てしまうのは、人の生活や別荘や豪邸を既にこちらが把握しているという、奇妙な優越感が芽生えるから。テレビを視聴する上で、こういう奇妙な優越感って欠かせない感情だと思う。図書館のお爺さんはSMAPがこうなることを決して知らなかったはずだが、ああやって言い残すことで、お爺さんは芸能界に対して、テレビに対して、お婆さんに対して優越感を持てる。事実、「こうなると思っていた」は、図書館の分館という狭い空間のなかでは圧倒的な力を持っていた。
あらゆる芸能人はテレビの前にいる視聴者が仕立てる優越感と対峙しなければならない。芸能界で目立つ存在として居続ける限りはその手の対峙を強いられることになる。例外はないのだろうか。島崎和歌子は20代のときに、先輩タレントから言われたアドバイスを、仕事をする上での指針にしているという。先輩はこう言った。
「よく見ていなさい。本当に売れている人は、話題になったりしない。話題になる人は、話題がなくなったら消えていく人。話題にはならないけれど、コンスタントにテレビに出ている人こそが、芸能界の第一線で活躍している人、本物なんだよ」(島崎和歌子『美人』より)