弱冠36歳、ヤフー・ジャパンの役員に|村上臣(ヤフー株式会社)〈前編〉

新卒で就職し、その会社で定年を迎える――。そんな働き方がスタンダードではなくなってきたこの時代。“新しい働き方”を探すためのインタビューシリーズがスタートします。第1回のゲストは、ヤフー株式会社CMO(チーフ・モバイル・オフィサー) 執行役員の村上臣(むらかみ・しん)さんです。大学時代に起業し、その会社がヤフーに買収されヤフーの社員に。いったん独立するものの2012年のヤフーの新体制発足の際に、弱冠36歳の執行役員として呼び戻された村上さん。いったいどんなふうにキャリアを切り開いてきたのでしょうか。(聞き手:横石崇)



技術そのものよりも、社会がどう変わるかに興味がある

—ご自身の、仕事における最大の強みは何だと思いますか?

 究極のジェネラリストであること。分野としてはモバイルに絞っているんですけど、仕事の幅としてはだいぶ広いですよ。キャリアのスタートはエンジニアで、いまは企業のM&Aにまつわる業務やデューデリジェンス(投資や買収の際の企業査定)もするし、ベンチャーキャピタルのパートナーも担当しています。携帯キャリアの取締役も務めました。職種でいうとエンジニア、ディレクター、企画、経営戦略と、とにかくいろいろやってますね。

—ヤフーのCMOと聞くとギークな印象がありますが、意外とそうではない?

 一般的にギークと呼ばれる人たちに比べると、テクノロジーそのものに対するこだわりが薄いかもしれません。技術を突き詰めたいというより、それによって世の中がどう変わるか、どうしたら楽しいのか、ということに興味の力点を置いているんです。モバイル領域が好きなのも、どこでもインターネットができるようになったら、すごくおもしろいだろうというところからスタートしています。

 だからこそ、仕事の幅が広がっていったんですよね。自分で情報を取りにいって、企画を考えて、サービスをつくって、自分で営業する。特にスタートアップをやっていたときはそうでした。ヤフーに買収されてからは、せっかくヤフーという大きな器ができたので、その力を使ってサービスを広く世の中に届けることも考えるようになった。そして、どういう調整をすると社内を動かせるのかということも学びました。仲間やリソースが足りないと、企業を買うなんてことも選択肢に入るようになった。そうすると、どの企業を買うべきか、買収価格はどれくらいだと合理性があるのか、といったことも考えるようになる。そうやって走りながら経験して、そのつど学んで、いまに至るんです。

—学生時代に「電脳隊」(1995年創業)というインターネットベンチャーを立ち上げ、そのころからモバイル領域を手がけられていたんですよね。ヤフーに電脳隊が買収されてからも、モバイル一筋でやってこられた。

 当時、ヤフーのなかでモバイルは超マイノリティだったんですよ。チームメンバーは、10人もいなかったんじゃないかな。ガラケー時代のヤフーモバイルって、全部で100くらいのサービスに対応していたんですけど、その半分くらいは自分一人でつくっていました(笑)。最近、2000年の人事評価シートが出てきたんですよ。それを見たら、1クォーターで「Yahoo!求人」と「Yahoo!グルメ」と「Yahoo!ファイナンス」のリニューアルをやって、それでもB評価だったんです。今から見たらすごくがんばってるんだけど、当時の感覚からすると「普通」という評価(笑)。そもそもの期待値が高かったんだなと思いました。

中学生で、自分は天才ではないと気づいた

—そうとうな激務だったのでは……。逃げ出したい、と思ったことはなかったんですか?

 そのときは、思いませんでしたね。逃げ出したいと思ったことがもしあるとしたら、2006年にソフトバンクグループがボーダフォンを買収したときでしょうか。当時のヤフーの井上社長にいきなり「ボーダフォン買収するとしたら、どういう条件にしてほしい?」と聞かれて、「ええと、ボーダフォンの端末に“Y”ってボタンがほしいです」と言いました。押せば、ヤフーのポータルに接続するボタンをつけてほしかったんです。そうしたら、本当に次の日、買収のニュースが発表されて(笑)。Yボタンの件は、ちゃんとタームシート(条件規定書)に記載されていました。

 そしてエンジニアのリーダーとして真っ先にボーダフォンに出向になり、キャリアのポータルのリニューアルを任されました。ここでエンジニアというよりはディレクターとして、全体を統括したり、各部署を調整したりといった仕事を経験しました。それはぼくにとって、エンジニアの枠を超えた仕事をするという転機になったんです。

—その段階で、社長から直接相談が来るような立ち位置ではあったんですね。

 ぼくはヤフーにM&Aによって入社してるので、そのあたりはちょっと特殊だったかもしれません。もともといた会社の社長が、買収されてから社長室に配属されたんですよね。彼がよくメッセンジャーで、「この会社、技術的な観点から見てどう思う?」って聞いてきて、「こういうところがいいんじゃない?」と言うと、次の月くらいに「買収しました」という発表が出されるということがよくありました(笑)。つまり、その頃から簡単なデューデリジェンスみたいなことをしていた、ということです。その関与がどんどん大きくなって、ヤフーのM&A案件に正式に関わるようになりました。

—ジェネラリストになる、というのは意識的にやってきたことなのですか? それとも、自然な流れでそうなったのでしょうか。

 けっこう昔から、ジェネラリスト指向でした。なぜかというと、ぼくはプログラマとしては並レベルだって、中学生くらいの時にわかっちゃったんです。小6くらいからゲームをつくりたくてプログラミングを始めたんですけど、雑誌に投稿しても全然掲載されなくて。載ってる他の人のコードを見ると、絶対に自分では思いつけないようなことをしている。そこで、努力の秀才にはなれるかもしれないけれど、天才にはなれないなと見切りをつけました。だったらぼくは、広くいろいろなことをできるようになろうと思ったんです。

 そして、社会人になってからは、おもしろいことには何でも首を突っ込もうと決めました。そのためには、情報がたくさん集まる場所にいたほうがいい。だから、社長室に入ろうと思いました。情報が入ってくるところにいて、おもしろそうなものがあれば、「おれ、やりたいです!」と手を挙げる。「お前やってみれば」と言われるためには、信頼されていることが重要です。なので、まずは社内のメンバーからいろんなことを聞かれる存在になろうと思いました。聞かれた時に、専門分野に関して適切な答えを返す。そうすれば、「あいつは使えるな」と思ってもらえる。そして、何かあった時に「とりあえず、村上呼ぼうか」という話になる。そういう存在になるために、意識的に考えて動いていました。


■村上臣(むらかみ・しん)

青山学院大学理工学部物理学科卒業。在学中に仲間とともにベンチャー企業、有限会社電脳隊を設立。モバイルインターネット黎明期において特に「WAP」の普及に尽力する。2000年、株式会社ピー・アイ・エムとヤフー株式会社の合併に伴いヤフー株式会社入社。2006年6月ソフトバンク株式会社による買収に関連して、ボーダフォン株式会社(現ソフトバンクモバイル株式会社)出向。一方で「Yahoo!ケータイ」の開発に従事。2011年、ヤフー株式会社を円満退社し、モバイルベンチャーであるピド株式会社の取締役に就任。2012年、ヤフー株式会社に入社、執行役員 CMO(チーフ・モバイル・オフィサー)に就任。

構成:崎谷実穂
企画:早川書房

この連載について

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ZabriskiePoints 村上さんのインタビュー記事あった 2ヶ月前 replyretweetfavorite

ora109pon https://t.co/5t33mw9IA9 https://t.co/I3aMvLhNQo 11ヶ月前 replyretweetfavorite

ora109pon https://t.co/5t33mw9IA9 11ヶ月前 replyretweetfavorite

ogi_yorocobi 領域を可能な限り広げてより俯瞰の位置に立つようにする 約1年前 replyretweetfavorite