日本SF英訳事情

翻訳・解説・エッセイ・コラムと、SF界のオシゴトを縦横無尽にばりばりこなす超人・大森望氏。氏の〈SFマガジン〉誌上の連載コラム「大森望の新SF観光局」がcakesに出張! 今回は、「日本SFって海外ではどうなの?」という素朴な疑問に答えた「新SF観光局」の第20回を再録します(SFマガジン2011年4月号より)。

■『ハーモニー』、ディック賞候補に

〈ローカス〉2月号でも報じられているとおり、Haikasoru(ハイカソル)から刊行された伊藤計劃の遺作『ハーモニー』の英訳版(アレクサンダー・O・スミス訳)が、2010年度フィリップ・K・ディック賞にノミネートされた。ディック賞は、前年にアメリカで出たペーパーバック・オリジナルのSF作品が対象。日本の作品が最終候補に入るのは、もちろん今回が初めてになる(受賞作が決まるのは4月22日)。

 本誌でも何度か報じられているとおり、Haiakasoruは、日本SFの英訳を専門とするレーベル。この奇妙な叢書名は、もともとP・K・ディック『高い城の男』の原題をカタカナ読みしたもの(ハイ・キャッスル)のローマ字表記に由来するので、そのディックの名を冠した賞にノミネートされたことは、版元にとってもビッグ・ニュースだったようだ。

 訳者のアレクサンダー・O・スミス氏は、「ファイナル・ファンタジー」などRPGの英訳からこの道に入り、栗本薫《グイン・サーガ》、小野不由美《十二国記》、井上真《小説・鋼の錬金術師》、京極夏彦『姑獲鳥(うぶめ)の夏』、東野圭吾『容疑者Xの献身』などを英訳。Haikasoruでは、桜坂洋や宮部みゆき作品を訳している。

 2010年のSFセミナーでは、「日本SF翻訳の楽しみ」と題する企画に出演。小川隆氏の質問に答えて、アメリカにおける日本SF紹介の現状をざっくばらんに語った。そのときに聞いた話では、いまのところ、ライトノベルやエンターテインメントの英訳出版に関しては、まだ翻訳者の地位が低く(実際、訳書のカバーやamazonのデータを見ても、翻訳者名の記載がないケースが多い)、小説の翻訳で得られる収入だけではとても生活が成り立たないとか。版元の編集者が翻訳原稿に勝手に手を入れたり、長すぎるからとばっさりカットしたりするケースもままあるようだ。

『ハーモニー』の英訳に関しては、とくに造語の処理に苦労したという。たとえば、“生府(ヴァイガメント)”は、原書のとおりに訳すならvigormentだが、英語圏読者はそこからgovernmentを連想しづらい。悩んだ挙げ句、administrationとmedicalを合成して、"admedistrartion"という訳語をひねり出したという。あと、英題が"harmony/" ではなく"Harmony"になったのは、最後にスラッシュがつくと別のものを想像してしまう読者がいるからだそうです(笑)。

 ともあれ、スミス氏の努力の甲斐もあって、英訳版の評判は上々。ディック賞ノミネート以外にも、LOCUS online では、イギリスのSF作家アダム・ロバーツが2010年のSF長篇ベストテンに選出している。いわく、「21世紀社会のためのこの新しい『すばらしい新世界』は、現代ユートピア小説に大きな一歩を記した作品である」。また別のオンライン書評では、「ピーター・ワッツとグレッグ・イーガンが合作したメディカル・サスペンス(またはディストピア)小説のよう」とも形容されている。

 ちなみに、英語圏のSF/ファンタジー関連の賞における日本SFの受賞/ノミネート実績と言えば、村上春樹『海辺のカフカ』が2006年度の世界幻想文学大賞を受賞、よしながふみの漫画『大奥』が2009年度のジェイムズ・ティプトリー・ジュニア賞を受賞、そして同じHaikasoruの乙一『ZOO』が2009年度のシャーリイ・ジャクスン賞個人短篇集部門で最終候補に選ばれている。Haikasoru のラインナップは着実に注目を集めつつあるようだ。

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