理想の家族なんてどこにもない!
今回は、「家族という病」の解決策を考えていく。親への恨みを抱えていると、その不和は親子間だけにとどまらない。必然的に、自分の配偶者や子ども、兄弟姉妹も巻き込むような大きなトラブルを招きやすいからだ。
ただし、私は医師として、きれいごとはいわないことを信条としている。家族の問題に悩む患者さんたちに、できもしない理想やきれいごとをいってもなにも解決しない。心身の不調を招く根本原因である「家族に対するストレス」を取り除き、少しでも精神的な負担が軽くなるようにすることが、治療の最優先課題だ。
家族に対するストレスを軽減するには、自分なりのストレス解消法を見つけるなどして、ストレスに対する精神的なタフさを身につけると同時に、それまでの自分の生き方や、家族関係のあり方を見直す必要がある。
そこで、ここでは読者の皆さんに、家族関係のあり方を見直すヒントについて述べていきたい。まず大前提として強調しておきたいのは、「理想の家族なんてどこにもない」ということだ。
これまでも述べたように、私たちは、幸せそうな家族を描いたドラマや映画、有名人が語る家族の美談、身近な人たちの家族の様子など、さまざまな情報を通じて知らず知らずのうちに、理想の家族像を心に思い描くようになる。
自然と一家がリビングに集まる家族、夫婦円満で子どもがスクスク育つ家族、なにごともオープンに語り合える家族。つらいことがあっても共に助け合える家族……。理想の家族像は人それぞれ違うと思う。しかし、どんなものであれ、理想の家族なんてどこにも存在しない。
そもそも、自分が思い描く理想の家族像は、「こうだったらいいな」と憧れるイメージの寄せ集めなのだから、その条件をすべて満たす家族は現実に存在するわけがない。まさに絵に描いた餅で、きれいごとなのだ。ありもしない理想の幸せ家族を追い求めても失望するだけだし、ストレスがたまって疲れる一方だ。
また、現代の日本で主流となっている核家族(夫婦と未婚の子どもだけで構成される家族)も、戦後の民主化政策や社会の変化によって急増したもので、人間の自然な営みに即して生まれた家族形態ではない。戦前の封建的な家制度に比べて自由な暮らしができるようになった反面、家事や育児の負担を夫婦だけで負わねばならない、家庭が孤立化・密室化しがちになる、などデメリットも多い。
動物の家族形態は、群れを作って集団生活を営む動物であれ、一対のオスとメスが協力して子を育てる動物であれ、すべて「いかにして次世代の子孫を残すか」という生存戦略のもとで形成されてきた。
だが、人間の家族形態は、文明の発展とともに、社会・経済的な要因など子孫を残すという本来の目的以外の要因にも左右されて発達してきた。本能に基づいて自然に形成されたものではない以上、どの家族形態もどこかに無理があるのだ。
家族制度そのものに無理があるから、家族個人もそのしわ寄せを受けて、どこかに病んだ部分やひずみが生まれる。極論をいえば、健全な家族というのは幻想に過ぎず、家族は病んでいるのが当たり前なのである。
理想の家族など存在しない。家族は病んでいて当然。この2つを前提に、どうすれば今よりもストレスの少ない家族関係を築いていけるのか、私の考えを述べていくことにする。
家族とは「腐れ縁」「しがらみ」でしかない
家族の定義として、しばしば「夫婦を中心に、親子・兄弟姉妹などの近親者で構成され、愛情と信頼で結ばれた最も基礎的な社会集団」という説明がなされる。愛情深い家族が家族のあるべき正常な姿だ、と思い込んでいるから、家族に愛情を感じられないと、不幸あるいは異常なことだと思い悩むのだ。
だが、愛情という言葉ほど重く、同時にあやふやなものはない。なにをもって愛情とするかは人それぞれ違うし、自分は精一杯に愛情を注いだつもりでも、相手から「私は愛されていなかった」と否定されれば、それでおしまいである。
愛情という言葉で家族をくくることが、家族問題をますますこじらせて、家族という病を複雑化しているのではないか、と私は感じている。家族の定義を、こんなふうに捉え直してはどうだろうか。
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