「看過できない」
2012年12月19日、日本郵政が決めた新社長人事に自民党が異議を唱えた。2代続けて旧大蔵省OBがトップに就くことに対し、菅義偉・自民党幹事長代行が強く反発したのだ。
菅氏といえば当時、安倍政権の官房長官に既に内定していた安倍首相の側近。この様子を眺めていた日本銀行周辺では、「これで財務省OBは厳しくなったのでは」との憶測が飛び交った。次期日本銀行総裁のことである。
13年4月8日に任期を終える白川方明総裁の後任は、衆参両院の同意を得て内閣が任命する。有力候補として取り沙汰されるのは、財務省OBか経済学者で、日銀プロパーは蚊帳の外(表参照)。その後も与野党を問わず財務省OBが適任かどうかで意見が噴出し、情勢は混迷を極めている。
棚ぼたで独立性を獲得
“日銀不信”の背景
1998年の新日銀法で政府(財務省)からの独立性が高まったとはいえ、総裁人事で政治に翻弄される様子を見ても明らかなように、今も日銀は政府の“子会社”という立場に過ぎない。
そもそも当時の日銀法改正の背景には、中央銀行に法律で独立性を付与する世界の流れの中、日本ではいわゆる「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」などの不祥事をきっかけに、大蔵省への権限集中批判が高まったことがあった。いわば日銀は“棚ぼた”で独立性を獲得したのであって、国民がその必要性を痛感した結果ではない。
こうした経緯もさることながら、日銀には独立性が必要だと認識されにくい最大の理由は、日銀自身の失策の歴史にある。独立性が与えられた途端、のっけから躓(つまず)いたのだ。それが、2000年8月の「ゼロ金利解除」である。