第4回】失策を繰り返した歴史 日銀の金融政策・徹底検証

今も日銀は政府の“子会社”に過ぎない。そもそも1998年の日銀法改正の背景にあったのは、数々の不祥事を機に高まった、大蔵省への権限集中批判。いわば日銀は“棚ぼた”で独立性を獲得したのであり、国民がその必要性を痛感した結果ではない。さらに日銀に独立性が必要だと認識されにくい最大の理由は、日銀自身の失策の歴史にある。独立性が与えられた途端、躓いたのだ。それが2000年8月の「ゼロ金利解除」である。

 「看過できない」

 2012年12月19日、日本郵政が決めた新社長人事に自民党が異議を唱えた。2代続けて旧大蔵省OBがトップに就くことに対し、菅義偉・自民党幹事長代行が強く反発したのだ。

 菅氏といえば当時、安倍政権の官房長官に既に内定していた安倍首相の側近。この様子を眺めていた日本銀行周辺では、「これで財務省OBは厳しくなったのでは」との憶測が飛び交った。次期日本銀行総裁のことである。

 13年4月8日に任期を終える白川方明総裁の後任は、衆参両院の同意を得て内閣が任命する。有力候補として取り沙汰されるのは、財務省OBか経済学者で、日銀プロパーは蚊帳の外(表参照)。その後も与野党を問わず財務省OBが適任かどうかで意見が噴出し、情勢は混迷を極めている。

棚ぼたで独立性を獲得
“日銀不信”の背景

 1998年の新日銀法で政府(財務省)からの独立性が高まったとはいえ、総裁人事で政治に翻弄される様子を見ても明らかなように、今も日銀は政府の“子会社”という立場に過ぎない。

 そもそも当時の日銀法改正の背景には、中央銀行に法律で独立性を付与する世界の流れの中、日本ではいわゆる「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」などの不祥事をきっかけに、大蔵省への権限集中批判が高まったことがあった。いわば日銀は“棚ぼた”で独立性を獲得したのであって、国民がその必要性を痛感した結果ではない。

 こうした経緯もさることながら、日銀には独立性が必要だと認識されにくい最大の理由は、日銀自身の失策の歴史にある。独立性が与えられた途端、のっけから躓(つまず)いたのだ。それが、2000年8月の「ゼロ金利解除」である。

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この連載について

日銀陥落【2】~募る不信 揺らぐ独立性

週刊ダイヤモンド

中央銀行が政府の言いなりになると困りものだ。だからこそ、世界の主要中央銀行には“独立性”なるものが与えられている。だが、安倍政権が日銀にその必要性を感じないのには訳がある。 本誌・新井美江子、池田光史、中村正毅、前田 剛 ※この連載は...もっと読む

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