ケンと一緒に日本で過ごした夏休みを終えると、洋子の人生にも、一つの転機が訪れた。
数カ月来、悩みつつ考えてきたことだったが、記者時代から関心を持っていたニューヨークに本部のある国際人権監視団体の採用試験を受け、十月後半から、難民局のあるジュネーヴ支部に勤務することが決まったのだった。
洋子の仕事は、EU各国の難民の人権状況を調査し、国連や各国政府に改善のための働きかけを行うというもので、長い歴史のあるこのNGOの中でも、比較的新しい部署だった。基本的にはジュネーヴ勤務だったが、二週間に一度はニューヨークに戻り、本部で仕事をこなすという契約になっていた。
PTSDに苦しんでいた間は、イラクでの体験の記憶からも、ただ遠ざかろうとするばかりだったが、ようやく体調にも自信が持てるようになり、今は、やり残した仕事への思いが強くなっていた。月の半分はニューヨークにいても、どの道、ケンには会えないのである。その状況を、ただ嘆いているばかりではなく、むしろ生かす術を考えたかった。
最後に洋子を決心させたのは、やはり、ジャリーラの家族の殺害であり、ジャリーラ自身のパリでの生活難だった。彼女への個人的な支援に留まらず、制度そのものの改善にも寄与したかった。
再びバグダッドに戻ったフィリップとの会話に触発されたところもあった。自分がどういう考えの人間に共感するのかということを、洋子は久しぶりに思い出し、今後の人生を出来るだけそうした人々と共に費やしたいと願っていた。それが、生の倦怠から逃れるための、恐らくは最も確実な方法だった。
リチャードとの価値観の違いを巡る対立が、彼女の感情を煽っていたのも事実だった。
母親としての自分の生き様が、ケンの目に、今後、どう映るのかをも意識するようになった。ヘレンの存在を否定することは出来なかったが、彼女とは違うものの考え方も知って成長してほしかった。
リチャードは、月の前半と後半とで、二週間ずつ交互にケンを預かる、という洋子の新しい提案に、最初は難色を示した。契約と違うと弁護士を通じて伝えてきたが、一週間ほどすると、条件付きでそれを呑む旨を伝えてきた。
友人として、洋子の自立に協力したいというリチャードの言葉に嘘はないと感じたが、同時に、いかにも不安定らしい彼女の勤務形態の故に、自分たちがケンと過ごす時間も増えるのではないかと判断した様子だった。
そしてやはり、早苗と東京で交わした会話も、洋子には、少なからぬ影響を与えていた。
今更蒔野との復縁を求めて、コンサートに足を運んだわけではなかったはずだった。しかし、早苗の警戒心が即座に嗅ぎつけたそうした期待を、彼女は振り返って、自分の無意識の裡に認めざるを得なかった。そして、どうかしていると思った。
彼女はそうした類いの自分の未練がましさを、これまで決して知ることがなかった。それだけ蒔野が特別の存在だったことを思う一方で、やはり、自分の人生が、未来の展望を欠いているが故に、こうも過去に拘泥してしまうのではあるまいかという気がした。
早苗のしたことは軽蔑していたが、彼女本人を恨むというよりは、人生そのものに対する索漠とした思いの方が強かった。ジャーナリストとしては、もっと理不尽で、もっと過酷な困難を生きる人々を、これまで散々取材してきた。自分も、彼らと地続きの同じ世界を生きている。そうした発想は、なるほど、感情生活に一種の粗雑さを招きかねなかった。どんな体験も、戦地と比べ出せば、「まだマシだ」という一言で片付けられてしまう。しかも彼女は今、そうした場所への関与を強めつつある。それでも、悲哀は悲哀として、彼女の手許に残り続けていた。
ただ、洋子がどうしても気になっていたのは、蒔野が真相を知っているのかどうかだった。早苗のメールのこと、そして、当時の自分の体調のこと。……
もし知らないのなら、誤解を解きたかった。しかし、何のために? 恐らくは、そうすべきでなかった。洋子は早苗のお腹の膨らみを、今もありありと覚えている。あの子に罪はないはずだった。何も知らせずに、蒔野にあの子の父親として幸せに生きてもらうことをこそ願うべきではあるまいか。——洋子はそれを、自分の彼に対する愛の最後の義務だと信じることにした。
ジュネーヴに発つ前に、洋子はロサンゼルスに住む父親のイェルコ・ソリッチに会いに行った。ケンが生まれた時に一度、顔を見せに連れて行き、その後、ニューヨークでも会っていたが、父がリチャードに好感を抱いていないことは、隠そうとしても何となく察せられた。
宿泊先のサンタ・モニカのホテルで待ち合わせをして、近くのレストランまで歩いて移動した。洋子は、午前中、ビーチ沿いの遊歩道を一時間ほどジョギングして、そのあと、屋外のプールでも少し泳いでいた。西海岸にはほとんど馴染みがないが、プールサイドのベンチに横たわって、青空を背に椰子の木を見上げていると、結婚生活の場所がここだったなら、違った結果もあり得たのかもしれないと、現実感もないまま考えた。
ソリッチは、パナマ帽に黒いシャツという昔ながらの出で立ちだったが、それが顎の全体を覆う髭に、よく似合っていた。顔色が良く、元気そうだったが、髪はとうとう完全に白くなっていた。オールバックに撫でつけて、耳より後ろでは、少し広がって肩に触れる程度にかかっている。
洋子は母が、父の人柄や才能だけでなく、最初はむしろ容姿に惹かれたことを知っていた。一見、人を尻込みさせる恐いような顔立ちだったが、言葉を発すると、深い声とともに目尻に優しく皺が刻まれた。年齢を重ねるほどに魅力を増していたが、そう感じるのは、一緒に生活した記憶が乏しいだけに、実父であってもどこかで客観視してしまうせいか、それとも男の趣味が結局は母と似ているからなのか。洞察に富む目の表情は、映画監督とまでは直接結びつかずとも、何かしら思索を事とする職業であることを想像させた。
寡黙なのは相変わらずだったが、その分、待ち合わせ場所で互いを見つけた時の、安堵したように広がる笑顔と、大きな仕草の抱擁が、別れたあとも、いつも際立った記憶として残った。
明るいテラス席で昼食を摂りながら、洋子は、離婚に至る経緯やケンと一緒の長崎帰省、それに、今度、新しく勤務することとなったNGOのことなどを話した。ソリッチは、ふんふんと相槌を打って聴いていたが、彼女の仕事の内容については詳しく知りたがった。
「中東や北アフリカで難民の現地調査をすることもあるのか?」
「基本的にはない。調査員から報告を受けて、情報を精査して国際機関や各国の政府に提言する役割だから。ただ、小さな部局だから、場合によっては自分で行くことにもなるでしょうね。——ジャーナリストの頃と違って、色んなことを取材して、それを広く社会に訴えるというより、今は難民問題にテーマを絞って、対策の方に関わっていきたいの。報道は勿論、大事だけど、限界も感じていたから。ジャリーラの存在が、やっぱり大きかった。」
ソリッチは、赤ワインを飲みながら、話を聴いていたが、
「お前は優しい。それは、私にもお前の母親にもなかった独特の性質だ。境遇がそうさせたのか。」
と言った。洋子は、苦笑した。
「わたし、まったく反対の理由で離婚を切り出されたのよ。君は冷たいって。——親っていうのは、ありがたいものね。いつも贔屓目に子供を見てくれる。」
「その優しさのために、お前が引き受けることになる人生の苦難を、私は心配している。」
「大丈夫よ、それは。」
ソリッチは、表情をやや険しくしてグラスを置くと、改めて娘の顔を見つめ直した。海辺と言っても、車の往来の盛んな通りを一本挟んだ席で、近いテーブルの客らの会話は、その僅かな隔たりを越える間に、適度に掻き消されていた。
「事実は、事実としてある。情報の真相を確かめるというのは、今の世界では最も価値のある仕事だろう。報道の虚偽や偏向は、国の運命も、人間の運命も破壊的に変えてしまう。お前も以前、批判記事を書いていたが、ユーゴスラヴィアの〈民族浄化〉は、政治だけじゃなく、マスコミにも大きな責任がある。——だからこそ、真相を決して知られたくないという人間たちもいる。彼らは、手段を選ばない。お前のことは誇りに思っているが、それでも、私は心配だ。」
「ありがとう。でも、……大丈夫よ。難民局は、さっき空爆されたばかりの場所に行って、被害状況を調べて告発するようなフロントラインの部局とは、またちょっと違うから。——お父さんが思っているほど破滅的でもなくて、わたしも、自分の身の安全は考えて人生の選択をしてるの。保守的すぎるくらいに。今はケンもいるし、無理は出来ない。」
(つづく)
平野啓一郎・著 石井正信・画
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