祖父からもらった20万円の使いみち
—— 田島さんはよっぽど小さい頃から旅をしてきて海外に慣れていたんだろう……と思いきや、本書の中で「初旅行は19歳」と書いてあって、すごく驚きました。
田島知華(以下、田島) 最初は海外には全然興味がなかったんです。英語も喋れないし、地理にも詳しくない。家族旅行でも海外に行ったことはありませんでした。それが大きく変わったのが大学1年生、19歳のときでした。祖父がいきなり「成人祝いだ、自分のために使いなさい」と20万円を渡してくれたんです。
—— 20万円! 大学1年生にとってはかなり大きな金額ですよね。
田島 しかも振り込みじゃなくて現金そのままでくれたんです(笑)。「どうしよう、これ!」と使い道に悩みました。最初は違うことに使おうかなと思ったんですが……私は建築を大学で勉強していたんですが、「世界の都市」という授業でスペインのサグラダ・ファミリアやドイツのノイシュヴァンシュタイン城といった有名な建築物を見ていて。「これだ! これを自分で見たい!」という気持ちが芽生えてきたんですよね。そこで、その20万円で人生初の一人旅に行くことに決めました。
—— 初の海外旅行が、初の一人旅。
田島 誰か友達を誘ってもよかったんですが、せっかくだから1人で行った方がいいんじゃないかなと! 動機が不純かもしれないですが、一人旅に「カッコイイ」というイメージがあったんです。「じゃあ、1人で行ってくるね」と世界を股にかける感じになりたくて。
—— もともと、よく1人で行動するのが好きなタイプだったんですか?
田島 いえ、むしろ逆ですね。1人でなにかをしたことって、あまりなくて……。けっこう引っ込み思案で、自分1人で挑戦するのが苦手だったんです。でも、自分の中に「大学生になってこれからどうしよう?」というモヤモヤや「かっこいいことをやってみたい」という気持ちがあって。「なにか新しいことに挑戦しよう!」と一歩踏み出すことにしたんです。
「つらい」を「楽しい」に変えた運命の出会い
—— ある意味「自分の殻を破る」ような初旅行ですが、どんな気持ちでしたか?
田島 目的地を決めてチケットを取ったりホテルを予約するところまではすごくわくわくしてたんです。「ここもいきたい、あそこもいきたい!」と。ドイツでノイシュヴァンシュタイン城に行って、チェコでアルフォンス・ミュシャの常設美術館に行って、ウィーンで本場の交響楽団も行きたいな……と地図を見ながら計画を立てて。祖父の影響で音楽や美術が好きだったので、本物を見にいけるのがすごく楽しみでした。
—— ハイカラなおじいさまだったんですね!
田島 クラシックのコンサートや美術館によく連れていってくれました! 裕福な家というわけではないんですけど、「芸術には小さなころから触れておくべき」という考えの持ち主で。最初は正直ずっと寝てました(笑)。でも、だんだん良さがわかって、すごく好きになってきたんですよね。計画はウキウキしながら立てていたんですが……でも、前日になると怖くなって、出発一週間前から寝れなくなってしまって。「キャンセルしたい、どうして1人で行くなんて言っちゃったんだろう」とノイローゼみたいになってしまいました。前日はベッドの中で大号泣です。
—— 不安の方が上回っていた。
田島 現地に着いてからも、街中で泣いてましたね……(苦笑)。言葉は伝わらないし、チェコでもドイツでも、マジメな人が多いので冷たく感じてしまって。道を訊いても答えがわからなかったり、笑顔じゃなかったりして、「ひとりぼっちみたい……」と心が痛くなりました。あとは方向音痴なので、同じ道に何回も迷ってしまって。自分が悔しくて悲しくて心細くて、涙が出てきました。最初は「つらい」ばっかりでした。
—— 1人旅行だと、同行者に頼ることもできないですからね。不安な気持ちはずっと続いていたんですか?
田島 もちろん、行きたかったところに行けたり、きれいなものを見れたりしたときは嬉しかったです。あとは、最初は予定になかった「ハンガリー行き」を、現地で日帰りツアーの存在を知って決めたときも「旅っぽいことをしているなー!」と思えましたし。でも、気持ちが大きく変わった一番のきっかけは、チェコで日本人と出会ったことかもしれません。街中でなぜか人だかりができていて、その中に日本人2人組がいたので、話しかけてみたんです。そうしたらその2人も一人旅どうし、さっき会ったばかりだと。その3人でチェコビールを飲みに行って、一緒に観光しました。
—— 一人旅をしている3人が、偶然チェコで出会う……なんだかちょっと運命的ですね。
田島 ですよね! 私は東京、その2人はそれぞれ富山と京都に住んでいたので、日本だったら会うことがなかったかもしれない。それがたまたまチェコで出会って、帰国後も会うような友達になれた。そういうふうに出会えた人って、「たまたまクラスが同じだった」というような縁よりも、絆が深い、ずっと続いていく友人という感じがするんです。旅をすることで、世界中に「一生続く友達」が増える。それが旅の魅力の1つなんじゃないかと思っています。初旅行でそういう出会いができたのには、すごく救われました(笑)。「1人」で旅をしているけれど、「独り」ではないんですよね。
—— 出会った人の中で、どんな人が印象に残っていますか?
田島 うーん……「すごくよぼよぼのおじいちゃん」ですね。基本的に、私はユースホステルに宿泊することが多いんですけど、年齢や国籍関係なく、いろんな人が泊まっているんですよね。チリに行ったときに、同じ部屋にイギリス人のよぼよぼのおじいちゃんがいて。背中が丸まっているような、しわしわでよぼよぼの人なのに、実はもう100か国近く回っている旅人で! なんというか、ちょっと変わってないとそんなことをしないだろうと思うんですよ。そういう「変な人」に出会えたのは印象に残っています。
—— それだけ1人で世界中回っている田島さん自身も、じゅうぶん「変な人」に感じますよ(笑)。
田島 そうですかね(笑)。変な人は世界にたくさんいるけれど、私も変な人になりたいと思っています。あまり人が進んではやらないことをやりたい。マカオタワーの世界最高のバンジージャンプを跳んだり、アブダビのフェラーリワールドの世界最速の絶叫マシーンに乗ったり……。1人で行って、「うわっ、こわっ!」って1人で興奮してました(笑)。
旅にのめりこんで「1日100円生活」
—— 初旅行から旅に「目覚めた」田島さん。でも学生だとなかなか旅行には行けないですよね。どう学生生活と旅行を両立したんでしょうか。
田島 祖父からもらった20万は、初めの旅行で尽きてしまったので(笑)、「いろいろなところに行きたい!」と思うようになってからはバイトをしまくりました。1、2年生のときにほとんど卒業に必要な単位は取れるように、必修や講義を詰め込めるだけ詰め込んで、すこしずつお金を貯めました。やっと行けたのが香港とマカオと台湾。3年生になるころには完全に旅に目覚めていて、出なくちゃいけない授業の時間と反比例して旅に行く頻度は上がりましたね。
—— それでも何日かは出席しないといけないと思いますが、どうやって授業と旅行を両立していたんでしょうか。
田島 どの大学も、全部で15回の授業のうち、何回か休んでいい日があると思うんですよ。私の場合、授業は基本的に無遅刻無欠席にしておいて、旅行のために徹底して「休み」を貯めていました。先生に「海外に行くので2回分出席できないんですけど、大事なテストってありますか?」と訊いておいて、日程を調整しましたね。私の学校は「海外の建築を自分の目で見てきたほうがいい」と考える先生が多かったので、それもよかったのかもしれません。
—— おお、ストイックですね……! バイト代は、全部旅に費やしていたんですか?
田島 はい。1人暮らしをしていたんですが、一人暮らしのお金は奨学金でまかなって、バイト代は全部旅行費に。でもそれでも足りないので、すっっごく節約をしました。服代や光熱費は最初に削って、最後に削れるところが食費くらいしか残っていなくて……1日100円生活をしてましたね。
—— えっ。食費が1日100円ですか?
田島 自炊もしてたんですけど、作り置きでも1日食費100円ってけっこう厳しいんです。なので、100円の菓子パンを1個買って、それだけで1日過ごしたりして。1年で10キロくらい体重が減りました。
——壮絶ですね……。
田島 でも、それくらい旅にのめり込んじゃったんです。「早く行きたい!」という気持ちと、「早く行かなきゃ!」という謎の使命感が(笑)あって。なるべく食費を抑えて節約しながら、バイト代はほぼ貯金に回して、貯めて貯めて、行くとなったらそこでどん!と全部使う。そういう学生生活でしたね。