堀紘一(株式会社ドリームインキュベータ)vol.2 人の縁に導かれ、新聞社から外資系コンサルティングファームへ

堀紘一さんが読売新聞社に勤めていた頃、先輩として親しくしていたのが渡邉恒雄さん。豪快な先輩たちに囲まれて、楽しく働いてた堀さんですが、ジャーナリストにはなれないと感じ、転職を決意します。転職先での三菱商事で、生涯2回目のアメリカ留学を経験。MBAを取得したことが、人生の転機になりました。

給料はすべて本に消え、アルバイトで原稿を書く日々

藤野 前回かなりおもしろい経緯で読売新聞社に入社されたことをうかがいましたが、最初はどこに配属されたのでしょうか。

 新人は必ず地方に赴任するんですよね。それで僕は北陸支社に行きました。今みたいに乗り換え案内サイトもないから、高岡駅に行くために何線に乗ればいいのかもわからなくて、大変だったな。

藤野 どのくらいの期間、いらっしゃったんですか。

 3年8ヶ月だね。それくらい経ったら、強引に入社を勧めたナベツネ(渡邉恒雄)さんも気の毒に思ったらしく、「本社戻ったら、舎弟の氏家ってやつがいる経済部に行けよ」と声をかけてくれました(笑)。

藤野 氏家さんって、日本テレビの会長や日本民間放送連盟の会長を務められた氏家齊一郎さんですか? いやあ、後の経済界の大物が、当時の読売新聞にごろごろいたんですね。

 ナベさんやウジさんには、可愛がってもらいましたね。3人でカツオのタタキを食べたら、腸炎ビブリオで食中毒になったこともあったっけ。2人ともすごく豪快な人でね、「堀、給料は全部本代にあてろ!」って言うんですよ。だから「それじゃ暮らしていけません」って言ったら、「アル原で稼げばいいじゃないか」と。アル原ってアルバイト原稿のことね。日曜版の広告の上の記事なんかを、本業とは別のアルバイトとして書かせてくれるんだよね。その原稿料が1本10万円で、当時の僕の給料が4万円だったから、そりゃ確かにアル原で稼いだほうが早いな、と。

藤野 すごいですね(笑)。

 しかもそれ、勤務中にやってていいことになっていたんだよね。その2人が「堀は今ちょっと、日曜版で忙しいんだ」とか言ってくれるから(笑)。

藤野 当時の新聞社の豪快な雰囲気が伝わってきますね。そのまま新聞社に残って、ジャーナリストになろうとは思わなかったんですか?

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