プリティ・ガールズ

パソコンに隠された秘密

オフィスには今は亡き夫の仕事道具が遺されていました。夫が使っていたパソコンを開くと、中からは信じられないようなファイルがでてきて……。


プリティ・ガールズ 上(ハーパーBOOKS)


 クレアは再び自宅を見上げた。ポールは建築学科にいたときから何度となく家の設計図を描いていた。変わったのは使えるお金の額だ。ふたりとも裕福な育ちではない。クレアの父は獣医で、ポールの両親は農場を営んでいた。ポールがお金を好きだったのは安心感を与えてくれるからであり、クレアの場合は、一度代価を払って手に入れれば、取りあげられることはないからだった。

  自分はポールのために充分支払わなかったのだろうか。努力が足りなかった、愛が足りなかった、彼にはふさわしくない人間だった? だから彼を失ったのだろうか。

「ミセス・スコット?」

「すみません」さっきからなぜ謝ってばかりいるのだろう。ポールならもっと関心を持っ ただろう。押し入られたことに激怒しただろう。家の窓ガラスを割られた! 強盗に家を 荒らされた! 従業員が襲われた! 彼が隣にいたら、クレアもきっと同じように怒り狂 っていただろうが、ポールがいないいまはどうにか身体を動かすのがやっとだった。

 ヘレンが口を開いた。「バーテンダーは大丈夫なの? ティム、だったわね?」 「ええ、ティムです」メイヒューはうなずくと同時に肩をすくめた。「傷のほとんどは表面的なものです。縫合のために病院に連れていきましたが」

 クレアは心臓をつかまれたような気がした。ティムはもう何年もパーティがあるときはバーテンダーを務めてくれている。自閉症の息子がいて、別れた奥さんを取り戻そうとしていて、そしていまクレアの家でひどいことが起きたために、病院で傷を縫いあわせてもらっている。

 ヘレンが尋ねた。「それでもなにか盗られていないかどうか、娘が家のなかを確認しなくちゃならないの?」 「ええ、やはり。こんなときに申し訳ないと思いますが、早急に必要なのはミセス・スコットに防犯カメラの場所を教えてもらうことなんですよ」彼は家の隅にある黒い球を指さした。「あれが人の出入りを記録してるんじゃないでしょうか」

「ご案内します」と言ったもののクレアは動かなかった。ふたりともクレアを見て待っている。ほかにやることがあった。ほかのことがたくさん。

 リストだ。電気のスイッチが入ったように頭が切り替わった。

 クレアは母のほうを向いた。「ケータリングのスタッフに、食べものはシェルターに寄付するよう言ってくれる? それからティムに治療費はこちらで持つと伝えてほしいの。 うちの保険で賄えるはず」書類はどこだろう? 担当者がだれかもわからなかった。

「ミセス・スコット?」メイヒュー警部の隣に別の男が立っていた。警部より数センチ背が高く、刑事グループよりも少し身なりがいい。トレンチコートは比較的上質で、スーツの仕立ても悪くなく、ひげをきれいに剃っている。気さくな態度はふだんなら緊張を解きほぐしてくれるはずだが、この男にはどこか不安をかき立てられるものがあった。目のまわりにひどい痣があるのでなおさらだ。

 男は目を指さして笑いながら言った。「妻はわたしが言い返すのが気に入らないらしくてね」

 ヘレンが言った。「ドメスティック・バイオレンスってとっても興味深いわね」クレアの用心深い表情に気づく。「なにかあったらキッチンにいるから」

 青痣の男は挨拶をやり直した。「失礼、ミセス・スコット。わたしはフレッド・ノーラ ンといいます。防犯システムの本体があるところまで案内してもらいながら話を進めませんか」

 ノーランはすぐそばに立っていて、クレアは一歩身を引きたくなった。「こちらです」そう言ってガレージに向かい歩きだす。

  「ちょっと待って」ノーランはクレアの腕に手をかけた。親指が手首のやわらかい部分に押しつけられる。「防犯システムの制御盤がガレージに?」

 クレアは他人に対して、これほど瞬間的に心からの嫌悪感を覚えたことはなかった。手が骨まで凍りつけばいいと思いながらノーランの手を見下ろした。

 ノーランもメッセージを受けとったらしく、クレアの腕を放した。

「言ったとおり、こちらです」

 クレアは歩きながら身震いをこらえようとした。メイヒューは彼女の隣を歩いている。 ノーランはすぐうしろからついてくる。それもぴったりとくっついて。この男は不安をか き立てるだけじゃない、気味が悪い。

 ノーランが言った。「ふつう防犯関連のものは家のなかにあるものですが」

「最高ね」クレアはつぶやいた。こめかみがズキズキと痛みはじめた。きっと強盗に入られたことは思わぬ幸運だったのだろう。四時間かけて弔問客をもてなすのでなく、三十分でこの最低男の相手をすませて家から全員追いだし、バリウムをたくさん飲んでベッドに直行しよう。

 防犯関連の機器をガレージに置く複雑な理由を、ポールは説明しようとしてくれた。ガレージは地下一階地上二階建ての独立した建物で、母屋と同じデザインだ。二階にあるポ ールのオフィスにはキチネットとウォークインクロゼットふたつと、完全なバスルームがついている。もしクレアに追いだされても、ホテルより快適な場所があると言って笑いあったものだ。

「ミセス・スコット、警報装置がオフになっている理由をうかがってもいいですか?」メイヒューは手帳とペンを手に持ち、レイモンド・チャンドラーの小説の登場人物の真似をしてくれと頼まれたかのように肩を丸めている。

「ケータリング・サービスを頼んだときはいつもオフにしています。ゲートは閉じているけれど」

 彼の口ひげがピクピクと動いた。「ケータリング業者は正面ゲートの暗証番号を知っていますか?」

「玄関の鍵も渡しています」

「ほかに鍵を持っているのは?」

 その質問は奇異に感じられた。というより、相変わらず密着してくるフレッド・ノーランにいらだっていたのかもしれない。「もし鍵を持っているなら、なぜガラスを割る必要 があったんですか?」

 メイヒューは手帳から顔を上げた。「型どおりの質問です。家に出入りできた人物には 話を訊く必要があるもので」

 クレアは喉元がくすぐったく感じた。これはポールが知っているはずのことだ。再び圧倒されそうな感覚に襲われたが、それでもクレアはひとりひとり挙げはじめた。「清掃業者、便利屋、ポールのアシスタント、共同経営者、わたしの母。名前と電話番号はあとでお渡しできます」

「あなたのお母さんといえば、頭の回転の速い方ですね」とノーラン。

 クレアは四台駐車できるガレージのキーパッドに暗証番号を打ちこんだ。ずっしりした木製ドアが音もなく開く。縞鋼板の羽目板と、同じ素材の収納キャビネットに刑事たちの目が引きつけられた。床はレーストラックのような白黒のゴムのタイル貼り。壁の張り出し棚にはさまざまなものが置かれている。工具、延長コード、テニスラケット、ゴルフクラブ、バスケットボール、サングラス、靴。ポールが特注した作業台が部屋の一角を占め、 充電コーナー、小型冷蔵庫、薄型テレビ、夏用のエアコンが設置されていた。

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カリン・スローター

成功した夫と美貌に恵まれ、なに不自由ない生活を送っていたクレア。だが、ある日暴漢に夫を殺されたことから、彼女の人生は暗転する。葬儀中、自宅に強盗に入られたクレアは、刑事に加えFBI捜査官が事情聴取に現れたことを不審に思い、夫のパソコン...もっと読む

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