ii
今日はおまえの誕生日だ、おまえのいない四回目の誕生日。例年どおり家族写真を見返して、思い出に浸る時間をとっておいた。この喜びを自分に許すのは年に一度と決めている。貴重な思い出を小出しにすることで、おまえのいない終わりのない毎日を切り抜けようとしているのだ。
いちばん気に入っているのはおまえの一歳の誕生日の写真だ。母さんとわたしはおまえよりもずっと興奮していたが、おまえはふだんから機嫌のいい赤ん坊だった。おまえにとって、一歳の誕生日はいつもと同じ日にすぎなかった。拳であっという間につぶしてしまったケーキ以外、変わったことはなにもない。招待客にはわたしたちふたりの名前しかなかった。おまえが覚えてもいないイベントを大がかりにやるなんてばかげていると母さんが言ったのだ。わたしはあっさり同意した。自分勝手はわたしは、娘をひとり占めできることを嬉しく思ったのだ。
思い出に浸る時間は決めてあった。二時間。それより長くも短くもない。その時間が過ぎると丁寧に写真を箱に戻し、ふたを閉め、来年まで棚にしまっておく。
次に、いつもどおり保安官事務所に歩いていく。保安官はわたしの電話に折り返すのをとうの昔にやめていた。ガラスのパーティション越しにわたしの姿を認めると、彼の目に恐怖がよぎるのがわかった。
わたしは彼の挑戦者だ。彼の失敗を映し出す鏡だ。娘が家出したことを認めようとしない目の上のたんこぶだ。
おまえのいない初めての誕生日、わたしは保安官事務所に行き、おまえの事件に関する記録をすべて読ませてほしいと穏やかに頼んだ。彼はそれを拒んだ。わたしは新聞社に電話すると脅した。彼はお好きにと言った。わたしはロビーの公衆電話に向かい、二十五セント硬貨を入れた。保安官が近づいてきて、電話を切り、オフィスについてくるように言った。
わたしたちは毎年この茶番劇を繰り返したが、ついに今年彼は抗うことをやめた。副保安官に案内されて小さな尋問室に通されると、そこにはおまえの捜査記録の写しが並べられていた。水を一杯どうかと言われたが、わたしは弁当箱と水筒を指さしてけっこうだと答えた。
捜査報告書にはたいしたことは書かれていなかった。始まりも真ん中も終わりもない。目撃者証言の要約(ほとんどの名前がご丁寧に黒塗りされていた)、わたしがまだ習得していない言語で書かれた刑事の手書きのメモ、虚偽とわかった供述や虚偽と疑われた供述(これもまた黒塗りされていた)、そして事実だと証明された供述(警察に質問されるとだれもがある程度嘘をつくものだ)、それから数名いた容疑者の取り調べの際のメモ(そう、彼らの名前もすべて塗りつぶされていた)。
二種類の地図が貼りあわされていた。一枚はダウンタウン、もう一枚はキャンパスのもの。おまえの最後の足取りを追うためだ。
写真もあった。おまえの寮の部屋、途中で終わっているレポート、消えた自転車(のちに見つかったが)。
ファイルの最初のページはおまえがいなくなった最初の誕生日に見たものだ。二回目の誕生日、三回目、そして四回目の今年にも。
”さらなる親展があるまでこの件は保留”。
母さんなら赤ペンで字の間違いを直しただろうが、わたしは最初のページから彼らがまちがっていると知ってひそかな満足を覚えていた。
一九九一年四月月曜日の天気はこうだった。
最高気温十・五度。最低気温二・七度。雲ひとつない快晴。降雨はなし。露店一・一度。風速二十五メートルの北西の風。日の出から日の入りまでの時間は十二時間二十三分。
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