A.普通のサラリーマンなのにバーテンダー並みのカクテルのレパートリーを持つ荒岩。元バーテンダーという未公表の経歴が? それとも……。
クッキングパパ・荒岩の料理は豪快な男の料理からスイーツまで、幅広いジャンルに渡っているのが魅力。そのなかでも意外と充実しているジャンルが、カクテルである。
荒岩家では新聞記者の妻・虹子が酒が入った上司や同業の友人を家に連れてくることがたまにあるが、おもてなし上手の荒岩は寒い冬には「ホットウイスキー」を出したり、女性の客には当時女性に人気のカクテル「ソルティ・ドッグ」をアレンジして、ウオッカの代わりに焼酎で作る荒岩家オリジナルカクテル「ソルティ・マウス」でもてなしたり、本格的なバーのようなカクテルメニューを展開している。みなさんのうちにはオリジナルカクテルがあるだろうか。うちにはない。
荒岩家特製カクテル「ソルティ・マウス」©うえやまとち/講談社
荒岩は「アラスカサーモンフィッシングツアー」にまことと一緒に参加したときにも、荒岩のカクテルメニューが大活躍している。
宿泊したロッジの日本人ママ、かずこさんがカゼ気味なのを気遣ってあたたかいミルクセーキのようなブランデー入りのカクテル「ホット・エッグノッグ」を作っている。
カゼのときには卵酒というのは昔から言われているが、体が温まって栄養のつくホットカクテルをチョイスするあたり、さすがは荒岩!
もちろん、かずこママ以外のメンバーにも「テキサス・フィズ」や「アラスカ・フィズ」などのカクテルを次々とふるまっている。このとっさに披露できるレパートリーといい、手慣れたシェーカーさばきといい、やけに堂に入ったバーテンダーぶりなのだ。
ロッジのママさんのためにカクテルを作る荒岩©うえやまとち/講談社
つぎつぎとレパートリーを披露する荒岩©うえやまとち/講談社
隠された経歴? 荒岩は元バーテンダーか?
荒岩が「ソルティ・マウス」を作ったのは1987年、「アラスカフィッシングツアー」は1992年、この頃はまだ缶入りのカクテルなどがいまほど充実していない時代で、家でカクテルを飲むことはまだ一般的ではなかったはず。(ちなみに一世を風靡したサントリーの缶入り本格カクテル「ザ・カクテルバー」が登場したのは1993年のこと) 荒岩が作るようなカクテルの知識は本当にバーなどで飲み慣れている人にしか身につかないものなのではないだろうか。
一流企業の営業マンである荒岩はもちろん接待などで博多の夜の街を案内することも多いだろうから、そういう機会にいつものリサーチ力を駆使して作り方を研究したのかもしれない。
いや、もしかして荒岩は大学生のときにバーテンダーのアルバイトをしていたのではないだろうか。
漫画本編には荒岩の学生時代のアルバイトについての描写はないが、荒岩の実家は母子家庭。荒岩が母・カツ代に苦労をかけまいとしてアルバイトをしていたとしても不思議はない。荒岩は味覚も鋭くセンスも抜群、いいバーテンダーになっただろう。それに現在の荒岩の「相手の気分や体調に合わせたお酒をつくる」という高度なおもてなしスキルは、バーテンダー経験によって培われたのかな……と考えると腑に落ちる気もする。
それに荒岩のこの大きな体と強面の顔、接客にはやや不向きかもしれないけれどちょっとした酔客に絡まれたりしても全然大丈夫そうだし、なんなら用心棒代わりにもなりそうだ。会社の花見の場所取りをチンピラたちに横取りされた時に威圧感のみで追い払ったくらいの迫力を持つ荒岩は夜の街で働くには向いていたのでは……などと想像してしまう。
威圧感のみでチンピラを撃退する荒岩。この肩幅のすごさよ©うえやまとち/講談社
荒岩家には荒岩以上の名バーテンダーが……その意外な人物は、母・カツ代!
しかし、荒岩家のカクテルの名人は荒岩だけではない。荒岩の母・カツ代も隠れた名バーテンダーなのである。
ある日、カツ代の友人のおタキさんが友人の若奥様と一緒に、洒落たレストランで開催されたマナー教室を兼ねたお食事会「カクテルとワイン入門」に参加したときのこと。
おタキさんはアルコール度の強いカクテルですぐに酔ってしまい、若奥様たちの飲み慣れた様子に気後れして落ち込んでしまう。カツ代の家に転がり込んで「やっぱり時代が違うとネ 思い知ったバイ 今の若奥さんたちにはついていけんバイ……」と弱気になったおタキさんを見て、カツ代は「こげんぐらいでめげてどうすっとかい うちたちのカクテルパーティばしようや!」と提案する。
おタキさんの友人の若奥様たちも招待して開かれたカツ代の「うちたち流のパーティ」とは「ジャパニーズフレッシュカクテルパーティー」。
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