駒場寮からの脱出
1軒目は池ノ上の風呂なし・共同便所のアパート。4畳半で25000円だった。しかし、さすがに4畳半というのは圧迫感があり過ぎ、ここは断念。次に行ったのが、松見坂近くの6畳の風呂なし・共同便所の3万円のアパート。フローリングといえば聞こえはいいが、築50年のこの建物、単なる「板張り」の床である。
ここに引っ越すことを決め、すぐに敷金・礼金2か月分と1ヶ月分の家賃を支払い、契約をした。当時、無職になったらTシャツをECで売ることを考えていたので、その事業の構想を昼間はこの部屋で練り、夜は駒場寮で過ごすことにした。そんな中、久々に電話があった。大学時代の同級生・Y嬢だった。Y嬢とは学生時代は喋ったことはないが、社会人1年目に経緯は分からないものの、2人だけで神保町の居酒屋に行って酒を飲んだことがある。恐らくそれ以来3年ぶりの電話だったかもしれない。
会社を辞めることをメールで伝えていたのかもしれないが、とにかくY嬢からの電話だった。どうやら、弟が東大に通っているようで、卒業する弟の友人が持っているモノをもらえるので車で取りに行かない?と誘われた。タダでもらえるのは有難いため、会社の先輩から車を借り、Y嬢に運転してもらい、弟の友人が住むという埼玉県蓮田市まで行った。そこでガスレンジと電子レンジをもらった。深夜のY嬢とのドライブは、二人して妙にハイテンションだったと記憶している。
そして、このY嬢こそ今、私と2人でやっている会社の唯一の従業員・Y嬢なのである。彼女と神保町で飲んだ時、23歳だった私はどうやら「オレの夢はいつか友達と一緒に仕事をすることだ」と言っていたらしい。Y嬢とは2010年2月から一緒に働いているが、彼女は「あの時言っていたことって本当になっちゃったね! 何かを宣言しておくことって大事だね」と今でも言う。
ガスレンジと電子レンジを駒場寮に運び入れた際、Y嬢は「へぇ~こんなところに住んでいたんだ。すごいね」と驚いていた。何しろ24畳のだだっ広いスペースで天井の高さは4メートルはある。部屋は真っ暗で隅の2畳ほどに私の布団が敷いてあるだけ。26歳のうら若き女性にとっては異空間に見えたことだろう。
退職と退寮
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