美魔女の好感度はなぜ低いのか?
ここで、“美魔女”の定義について改めて。名付け親の『美ST』的には、「年齢という言葉が無意味なほどの輝いた容姿」「経験を積み重ねて磨かれた内面の美しさ」「いつまでも美を追求し続ける好奇心と向上心」「美しさが自己満足にならない社交性」という条件を備えた女性を「美魔女」と定義しているという。
要は、「全知全能の中年美女」である。
しかし、世間一般の美魔女のイメージは、まったく異なるものだ。美魔女は、登場してから現在に至るまで、世間でバッシングされ続けている。今年、放映された『TVタックル』の美魔女特集での批評も辛辣なものだった。
「何が気持ち悪いってその年になっても、まだ選ばれる花でいたい。男から手折られる花でいたいという感性のあり方がいや」(作家・湯山玲子氏)、「いくら若作りしてもカニカマはカニカマ! カニにはなれない」(作家・岩井志麻子氏)とにべもない意見が続出。
とりわけ、男性からの目は厳しい。同番組に出演した小藪千豊氏の「いい年した美魔女をチヤホヤする国に未来はない」。過去に他の番組でも「50で30に見えるんだったら、30の女でいいんだよ」(有吉弘行氏)、「50代になっても必死になって若い頃の“ナイスバディ”を求める女性がすごく辛そう」(今田耕司氏)などなど。それぞれの目線から美魔女について語り、嫌・美魔女派から喝さいをあびていた。
周囲の男性も、バッシングとまではいかずとも、「美魔女を本気で好きになることはないと思う」と声をそろえる。「性の対象にはなるかもしれないけど」とも。ケンコバさんだって、美魔女の努力を認めて擁護はしていたものの、「積極的に好みとまでは言えない」と語っていた。
って何だかもう全方位的に批判されている。美容雑誌にも愛をもって携わる40女としては、書いていてつらい。
しかし実はその指摘の本質によくよく目を凝らすと、「男に媚びていて依存心が強そう」「自己中心的にみえる」「劣化に抗う努力が痛々しい」など、実は年齢そのものにはあまり関係ない。歳をとっているがゆえに、その粗がよく目立つだけである。
つまり、ここまであらゆる人の癇に障るのは、美魔女が“女の業”をすべて背負ってしまっているからなのである。
JKだって、1日の8割は「可愛くなりたい!」と思って、メイクに2時間かけたり、毎日1時間半身浴したりする。モデルのマギーがお風呂あがりに11種類の美容液やクリームをぬっている話やダレノガレ明美が1日に6時間ウォーキングした話は、がんばってるんだ、と賞賛を集める。
でも、アラフォー以降の“いい年した女”が、同じように美容にうつつをぬかしていると批判を浴びる。社会人として、親として、規範となるべき世代なのに、「美しくなりたい!」なんて己の欲望に忠実すぎること、それを隠そうともしないところが下品に見えるのだろう。
歳を取ると、未熟さは醜さに変わり、「いい大人」からずれた分だけ、悪目立ちするのだ。少なくとも他人の目からは。
藤原紀香は美魔女だが、永作博美は美女である?
“美魔女”と“美しい熟女”の違いについて考えてみる。たとえば、45歳の永作博美は、年齢を超越した美しさを備えているけれど、“美魔女”だとは言われない。美STの表紙に登場しているにもかかわらずだ。
でも、44歳の藤原紀香には美魔女的な匂いがする。一般の中年女性でも、美しい人はたくさんいるけれど、“美魔女”的な人とそうでない人がいる。両者の違いは何か?
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