20歳が賞味期限?——少年の美のピーク
128年夏、病が癒えたハドリアヌスは、アンティノウスを連れて、3度目の巡行に旅立ちます。今回の旅はローマにとっての東方世界、ギリシャやアジア、北アフリカを巡るものになりました。ハドリアヌスたちの一行は、まずアテナイへ向かいます。
ギリシャオタクの上、歴史オタクだったハドリアヌスの、今回の滞在は長く、年を改めて、129年の春までこの地にいました。
ここで、二人は、エレウシスの秘儀という「死後の祝福」を約束される祭儀に参加しています。男根を掲げながら、幻覚を招くハッカ水を飲んで、踊り狂うという、妖しげな祭りだったようですが、狂騒の果てに二人は来世でも結ばれる自分たちを見たのでしょうか。
先述のアルキビアデスの彫像を建立したのも、この時のことだったように思います。
ギリシャを去った後は、シリア、アラビアを経て、130年夏にエジプトのアレキサンドリアに到着しました。
ここで二人はアレキサンダー大王の石棺を見たり、古代世界最大だった図書館を見学したりして、偉大な英雄の作った都市を満喫したようです。
アレキサンドリアの有力者は皇帝と少年のカップルを表向きは歓迎しつつも、ハドリアヌスの気ままさと、性的な放埓さについては陰口をたたきました。
その後、エジプトを西へ進み、リビアに足を踏み入れます。ここで現地人からライオンの害を訴えられると、ハドリアヌスは英雄趣味を発揮して、一軍を率いライオン狩りに向かいました。
もともと狩りが大好きだったハドリアヌスは大喜びで、草原を砂漠を駆けまわりました。側にはアンティノウスが健気に従っています。灌木に潜んだライオンがアンティノウスにとびかかり、あわやという場面もあったのですが、ハドリアヌスがかばい、最後は見事、投げやりで討ち倒しました。
ハドリアヌスの得意は大変なもので、アンティノウスを救い、獅子を打ち倒す自らの姿を、青銅のメダルや浮彫にして広く公表しました。
しかし、この時、アンティノウスはすでに20歳。メダルや浮彫にされた姿を見ると、顔立ちにはあどけなさが残っていますが、肩や太ももはすでに青年のそれです。
本当ならソクラテスとアルキビアデスが戦場で勇気を競い合ったように、あるいは日本の小姓が成人後、念者の片腕や、時に対等のライバルとなったように、アンティノウスもハドリアヌスと肩を並べてライオンに立ち向かわなければならなかったはずです。
しかし、彼は一昔前のアニメのヒロインのように、ただただハドリアヌスから守られ、救われただけでした。
そんな自分をアンティノウスはどのように感じていたでしょうか?
2世紀頃、ローマの詩人が、古代ギリシャの詩を集めた作品には、少年の美について、下のように謡っています。
12歳の花盛りの少年は素晴らしい。13歳はもっと素敵だ。14歳の少年はなお甘い愛の花。15歳になったばかりの少年は一層輝く。16歳だと、神の相手がふさわしい。17歳の少年となると、おれじゃなく、ゼウス神の相手だ、あぁ!
18歳以降の美については語られていません。20歳は、とうに青春を過ぎた年だったのです。
成熟した大人にはなれず、かといって美しい少年のまま留まることは出来ない。
メダルや浮彫に描かれた彼の顔を見ると、その表情は憂愁に包まれてるように思われます。
最後になったナイルの船旅
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