帰国して衝撃をおぼえたフィクションの潮流
11月末から12月上旬にかけて帰国したついでに、トークイベントをいくつか計画した。私のほうから情報を提供するだけでなく、アメリカからは見えない日本の近況を参加者から教えてもらえるので貴重な体験だ。cakesの2つの対談取材などの合間を縫いながら、結局7つのイベントをこなした。
佐々木順子さん、塚越悦子さんとのイベント「英語で仕事をする」
そんな中、私が最もショックを受けたのは、アメリカの出版事情を語るイベントで、対談相手の堺三保さんが言った次の言葉だった。
「今の日本人読者、特に若い人たちは、何も起こらない小説が好きなんですよ。僕なんかはつまんないと思うんだけれど、読者は心地いいみたい」
「えっ? 何も起こらないって、対立とか挫折とか絶望的な状況があって、その後ハッピーエンドっていうのじゃないんですか?」
私がびっくりして尋ねると、堺さんはさらりと答えた。
「ちがうんです。何も怖いことが起こらないんです」
それでもまだ信じられずにいる私に、イベントの参加者たちが「そうなんですよ」と口々に同意する。
「そんな読者ばかりになったら、海外からの翻訳小説を読む人がいなくなっちゃうじゃないですか!」
いまアメリカで大流行しているのは、世界が壊滅するディストピアがテーマのYA(ヤングアダルト)ファンタジーやSFだ。絶望的な状況で人類の生き残りをかけて闘うヒロインやヒーローに没頭できるのは、何があっても「フィクション(創作)」だとわかっているからだ。自分の人生は一回しかないけれど、小説なら自分ではリスクを負わずして、何度もドキドキ・ハラハラを楽しめる。それがフィクションの醍醐味ではないか!
「SFだけじゃないんですよ。ロマンスでもそうなんです。最初からハッピーで最後までハッピーなのがいいって人が増えているんです。そういう人たちは、三角関係のドキドキも嫌いなんです。二人の関係に余計な人が加わるだけで、読者の評価が下がっちゃうんです」と洋書ロマンス小説ファンたちも教えてくれた。
私はふだんからいろいろなジャンルの小説を薦めていて、その中には「心暖まる」児童書やハッピーエンドを保障するロマンス小説もある。どんな小説にも価値があるので、ほのぼのした「日常系」の小説を否定するつもりはない。
けれども、英米文学ではconflicts(対立・緊張・葛藤)が重要なので、そういった小説の需要がどんどん減ったら翻訳家にとって危機的な状況になる。
私のイベントの参加者には翻訳家や洋書のファンが多いので、危機に過敏なのかもしれない。そう思って、それからは機会があるごとに同じ質問を繰り返した。30代以上の人が多かったせいか、「そんなことはない」と否定する人は皆無だった。「いやなことが起きない」フィクションは安心して読めるのが魅力のようだ。小説だけでなく、ドラマに対してもそう思っている人が増えているらしい。
遠いアメリカから観察していて、近年ツイッターでの攻撃的な日本人が目立つと感じていたので、これはほんとうに意外だった。
浮かび上がる失敗を恐れる日本人の姿
「なぜ日本人読者だけがそうなってしまったのでしょう?」 そんな質問を繰り返すうちに見えてきたのは、「失敗を恐れる日本人」の姿だった。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。