ああ、こんなことまで、できるのか。
ただただ、そんな感慨に浸りました。10月~11月にかけて、神奈川県民ホールギャラリーで開かれた鴻池朋子「根源的暴力」展。会場を一巡し、このままその場を離れるわけにはいかぬ気分になって、もう一度さいしょから観て回り、あまりの衝撃の大きさにそのまま会場の向かいにある山下公園まで這うように歩いていって、気持ちを静めるためにぼんやり港を眺めるしかなくなってしまう。そんな展示です。
その様子は前回にも書いたとおり、原始生命のようなかたちの粘土の立体物や、牛革を継ぎ合わせた表面に絵を描いた造形物が、歩を進めるごとに続々と眼前に現れてきます。一つひとつのものが異様な存在感を発しており、空間全体としても外部とは明らかに異なる空気がそこに満ちている。どこか異界に連れ去られてしまったような、または自分の内面へ潜り込んでいって出られなくなったみたいに、もしくは時間を遡って地球の生成過程をはじまりから見せつけられるかのごとく。知らない世界に身を浸せるのです。
展覧会を観たというだけでは、そこで起きたことを言い表せない感じがします。これはまさに、何かひとつの大きな大きな体験です。ひとりの作家の作品と展示が、かくも身に迫ってくるとは。アートにはこれほどの具体的な力があるのかと驚かされます。わたくしとしては、これがことし1年間のうちで、最高の展覧会です。
この圧倒的な展示を築き上げたご本人、鴻池朋子さんに、まだ会期中の時期に会場でお会いいただきました。心身ともにどこかへ連れ去られてしまった気分になった旨をお伝えすると、
まだ渦中にいる感じで、冷静に、というか客観的に、展示を観ることがまだできていないんですよね。
とのこと。なるほど当人としては、そういうものなのかもしれない。それに。と、鴻池さんは続ける。
わたしのほうから言えることなんて、何もないものですから。というのも、展覧会というのは、観客が新たなものと出合う場所。観客と作品のあいだで何事かが起こってくれればいいと切に願っていますけれど、実際どうなのか、こちらでは、はかり知れません。
アートとは、観客が作品と対峙するところに起こる何ものかである、というのだ。
そう、作家はつくる。そのあとはぜんぶ、観客のものだと思っていますよ。
なんとも潔い。ただ、でも、と思ってしまう。表現する者として、そこまでエゴを捨て去ることなんて、できるものなんだろうか。何かをつくるとは、自己表出の手段でもあるだろうに。そのあたりについては、
自己表現と所有欲は別です。そういう所有的なエゴみたいなものは、わたしに関しては、最初からなかったですね。作品をどう見ようと自由だし、わたしも見る側に立てばいつもそうしてきました。いくら作家が「こういうメッセージを込めた作品です」と言ったとしても、観客のなかで何も起こらなければ、それはないも同然。残酷だけど、あたりまえのことです。
これまでの美術教育が、作家はこういうメッセージを作品に託したのだ、それを覚えていくのが美術を鑑賞することだなどと、教えすぎてきた面はあるかもしれません。どんな有名な作品だって、対峙したときに琴線に触れるところがなければそれまでです。そういうものの見方を、すくなくともわたしはしていきたい。
ものをつくり終えたら、作者はすっとうしろに引っ込む。作品だけがそっと差し出され、見る者がそこに来て対峙してくれたら僥倖。そう信じるくらいしか作者はできないという。 ただし、たんに投げ出してしまうわけじゃない。作品と観る者のコミュニケーションが成立するために、つくり手はできるかぎりのことをするべきであるとも。どんなかたちで作品を投げるか。タイトルやそこに付すテキストでどう出合いを後押しできるか。考えを尽くす。
それは人間がディスコミュニケーションであることがデフォルトであると認識しているからこそです。
今展でいえば、つなぎ合わせた牛革を支持体にして、そこに絵を描いた作品がたくさん出ている。これは、作品と観者が向き合ううえで大きく寄与しているんじゃないか。モノとしての存在感がたいへん強いので、生々しいものと出合った驚きが観る側に湧く。もしも同じ図柄がキャンバスに描かれ並んでいたとしたら、印象はかなり違ってくるはずだ。
そうですね。ただ、「キャンバスに描くなんて自明じゃないんだ」という考えが先にあったわけではないですよ。そう言ったほうがいかにもアーティストっぽくてわかりやすいけれど、実際はたまたまそうなっただけ。四角い紙だろうがそれ以外でも、絵を描くうえではどっちでもいいと思っています。それにしても、知らずに四角い画面に、わたしたちはかなり捉われていますよね。
そう言って鴻池さんはあたりを見渡す。棚に差してあるファイル、机のうえのメモ帳、本、スケッチブック、PC……。たしかに四角いものばかり。しかも、A4だとかB5など、定型に納まっているものがいかに多いか、改めて気づく。
やっぱりわたしたちは、知らずに生活をみずから規定していたりするし、そのことに無神経になっている感はあります。それはなぜ? どうしてそうなっているのか。そういうことは考えないほうが安定した生活を送れるのも知っている。そこを、とことんごまかさずに問いたい。手探りでもいいから、自分の方法を貫きたいと、ここ数年ずっと思ってきました。作品のかたちやありようは、そういう気持ちを反映しているはずです。
ここ数年、と鴻池さんは言う。心境に変化が訪れるきっかけとなったのは、東日本大震災だった。それ以降、鴻池さんのなかで、ものごとの見え方が大きく変わり、当然ながら作品にも影響が及ぶこととなった。
わたしは外的要因によっていろんなことが表に出てくる人間なので、影響は大きく出てしまう。あれ以来、地盤は不安定だし、社会全体も同じと感じます。ぱっと見の眺めは同じで安定しているかのようなのに、じつはそうじゃない。身体は地球の振動を十分に感じていたけれど、思考はすぐに切り替われず、ズレが生じていた。そんな状態で、不安を抱えつつもモノが生まれてきた。それが今回の展覧会の、最初のエネルギーの起こり方でした。 安定しているところからは、あまり何も生まれませんしね。不安定だと人は状態を立て直そうとする、その戻そうとする動きに乗じて、エネルギーが起こるのでしょう。
一人ひとりの、そして社会全体の動揺を、鴻池さんは強く感じ、我が身に受け止めた。これまでと同じように、キャンバスに絵を描いたり、オブジェをつくったりしてそれらをギャラリーや美術館で発表し……。という行為を、当たり前のように継続することができなくなった。
制作の手はとまった。発表する機会も滞った。所属していたギャラリーからも離れることにした。
惰性でしていることをなるべくやめなければ、とどこかで感じていたんですね。つくろうと思えば、何となくものは生まれてきますよ。それを見てお金を出す人だっているかもしれない。でも、それでは、自分のなかで何も起こっていないことになる。そんなつくり方をしていたらワクワクしないですよ。対象と楽しく真剣に遊ぶという感覚がまったく持てないのはまずいと思いました。震災から1、2年は、そういう大きなズレをつねに感じていました。それでもありがたいことに、仕事のお話はいただくので、それらをやりながら少しずつ、自分に正直になってちゃんと成立するものを探しました。そうして少しずつ、大きなまとまったものがまたつくれるようになっていきましたね。
当初は白い画面に絵を描くといった、これまで慣れ親しんできた手法でものをつくることができなかった。かろうじて粘土をこねて、あるかなきかのかたちを作ることくらいができるようになった。それらを素焼きにしたものが、「根源的暴力」の会場に並んでいた。原初の生命体はかくやと思わせる、素朴そのものといった趣で、「はじまりのかたち」とでもいえばぴったりきそうだ。
自分としてもあれは「つくった」という感触がないんです。粘土をこねて、手の上にのせたり、すこし伸ばしたりというくらいでおしまい。素材が自分の手のなかで踊った、くらいでぽんと出してしまう。もうちょっと何かするとしても、ちょっと穴を開けてみたりというので終わり。展示では群れのようにたくさん出しましたけど、すべてあっという間にできあがっていきました。造形するかしないかの瀬戸際に留めるのが、自分のなかで重要でした。
素焼きに、少しだけ色をつけたものをつくりはじめて1年ほど。本焼きを施した、もうちょっとかたちがはっきりして、硬度をともなった作品も手がけることができるようになった。会場でそれらは、標本箱のようなケースにそっと仕舞われ展示されていた。
この数年間、いったんすべての荷や纏っていたものを取り払い、ゼロから大切なものだけ獲得していこうとした鴻池さんの歩んだ軌跡が、作品をたどることで見えてくるみたいだ。
一歩、また一歩と進んで、だんだん大規模なものを手がけられるようになった鴻池さんが、いよいよ到達した境地は、巨大な緞帳のかたちをとって結実した。会場のいちばん大きな吹き抜けスペースの、ふたつの壁面を埋め尽くさんばかりに広げられた皮の緞帳は、幅20メートルを超える大きさ。近くに立って見上げたり、左右に首をふったりすれば、どこまでも鴻池さんの描いた世界が続いていて、全身が作品にくるまれてしまう感覚に陥る。
この一枚の大きな表面は、すべて牛革を幾枚も縫い合わせてつくられている。室内に入るとき、観客は緞帳の裏側をまずは見せられ、そこから真ん中に開いた小さい穴を潜り抜けて、ようやく絵の描かれた表側と対面できるようになっている。
この続きは有料会員の方のみ
cakes会員の方はここからログイン
読むことができます。