最初に断っておきますが有村架純の考察ではありません
最初に断っておきますと、本稿はほとんど有村架純の考察にはなりません。西内まりやでも代替可能な文章になるかと思いますし、肯定も否定もしていないので、ファンの方がわざわざ時間を割くべき文章ではありません。
さて。ある友人と話していて、「爆発的な勢いで流行るお笑い芸人って、すぐに馴染むよね。でも、流行っている女優さんって、馴染むを通り越していつの間にか慣れ親しんでいることが多いでしょう。あれって、どういう仕組みなんだろう?」との問題提起を受けた。いや、仕組みなんてないでしょうと、適当に返したものの、先方は納得しない。「流行語大賞の候補が出揃ったり、紅白歌合戦の出場歌手が明らかになったりする時期って、ついつい、あの人、流行ったよねー、来年には消えるっしょー、なんて話でサクッと片付けてしまうけど、ホントは『瞬間的に流行って馴染んだ人』ではなく『今年しっかり慣れ親しんだ人』の考察をするべきなんじゃないの?」と主張してくる。確かに、「流行った」ばかりで振り返ってしまう自分たちは、その後に用意されているはずのハードル、「慣れ親しむ」の議論を放っていますよねぇと、問題提起をいつの間にか引き受けてしまうのだった。
「慣れ親しむ」とはどういう状態か
誰であっても、付き合いの長い親友といつから友達になったかを今さら明示するのは難しく、大抵は「いつの間にか仲良くなっていた」という返答になる。帰り道に一緒になったからとか、合唱祭で隣り合ったからとか、主となる理由を探し出すことはできるだろうけれど、一つに絞ることは難しい。親友として馴染んだ瞬間なんて分からない。テレビを見ているうちに「馴染んだ人」というのも同様で、世間に知られるようになった出世作があり「あぁ流行っているな」と思う場面が重なったとしても、「あぁ馴染んだな」と感ずる瞬間があるわけでもなく、いつの間にか馴染むのである。
友人が「私なんか、すっかり有村架純とかに慣れ親しんでるもんね」とつぶやいたのを聞いて、言葉尻をとらえて小銭をいただいている職種のこちらは、「馴染む」の一歩先を行く「慣れ親しむ」という言葉に過敏に反応する。そもそも「慣れる」と「親しむ」って、くっ付けてしまって構わない言葉なのだろうか。この寒さに慣れてきたが親しんでいるわけではないし、復帰したヒロミに慣れてきたが親しんでいるわけではない。でも「慣れ親しむ」という言葉はあちこちで使われている。最近、このフレーズを芸能ニュースで見かけたのは『サザエさん』の中島くん役や『ドラえもん』の出木杉くん役で知られた声優・白川澄子さんの追悼記事。その記事ではSNS上の声として「また慣れ親しんだ声が消えていく」(cinemacafe.net)と紹介されていた。この場合は、「慣れた声」でもなく「親しんだ声」でもなく、まさしく「慣れ親しんだ声」が似合う。流行っている云々とはかけ離れてすっかり定着しているものに対して「慣れ親しむ」が使われるのだ。
「慣れ親しむ」を探しに
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