SF新世代—28歳哲学系男子が問う「明るい未来の絶望」とは?

今年で第3回を迎えたハヤカワSFコンテスト、大賞を受賞したのは86年生まれの東大院生・小川哲氏による『ユートロニカのこちら側』。理想的な生活が約束される代わりに個人情報が売り渡されてしまう未来の都市で、人間らしさと自由を求めて彷徨する人々の物語を活写した俊才に迫ります。(インタビュアー&構成:海老原豊)

──SFとの出会いを教えてください。

小川 僕の父親が海外小説──特にSFとミステリのオタクで、家に父の本が大量にあったんです。僕の部屋にもその本棚が置かれていて、することがないと父の本を読む習慣がありました。もともと《ズッコケ三人組》や宗田理といったものしか読んでいなかったのですが、中学生のとき、事前情報も何もなくいきなり筒井康隆の『農協月へ行く』を手にしたのが最初だと思います。他にも小松左京の『日本沈没』を知る前に「日本以外全部沈没」を読んで「日本以外、全部沈没したんだ」と素直に受け取ってしまったり(笑)。それとレイ・ブラッドベリやフレドリック・ブラウンはこのころ知りましたね。

 SFの次はミステリ小説でした。母親がミステリ専門の読書家で、母の読み終わった宮部みゆきや東野圭吾を読むようになりました。SFはそれから数年くらいは手をつけずに、古典に行ってしまって。戻ってきたのが、大学院試験の勉強をしていたとき。気分転換でテッド・チャンやグレッグ・イーガンを読みまして、それ以来ほとんどSFしか読んでいないという状態です。

──SFを中心的に読んだということですが、どのような作家・作品でしょうか。

小川 とりあえず本屋にいってタイトルとあらすじから、その場の直感で読むか読まないかの判断をしていました。なので、ここ何年かで出たものや復刊したものは、かなりの割合で読んでいるのではないでしょうか。個人的に好きなのは、ロバート・J・ソウヤー。古典を中心に読んでいるとき、フィリップ・K・ディックは読みました。カズオ・イシグロ、アントニイ・バージェス、オルダス・ハクスリー、ジョージ・オーウェルなどもその流れで読んでいました。


小川哲氏

──小説をどのように書いてきたのか、「書く経験」について教えてください。

小川 僕は文芸サークルに入っていたわけでも、周りに作家志望者がいたわけでもなかったので、継続して書いてきたわけではありません。高校生のときには何か書いていたみたいで、全く記憶にないその作品が実家のパソコンに残っていたのですが、五年後ぐらいにそれを母親が知り合いの編集者に見せる、という事件があったんですね。で、僕の作品を読んだ編集者が「この子にはもしかして才能があるかもしれない」なんて言い出したと。母からそう聞いて、自分で改めて読み直してみたけれど……ひどい作品でした。主人公は山崎パンで働いていて、ゴーストバスターズみたいな格好をして一日中パンにマヨネーズをかけている。それで仕事が終わった後、本屋へ行ったらそこは世界砲丸投げ選手権の会場になっていた。主人公に砲丸を当てたら得点がもらえるという新しいルールができていて、世界中の砲丸投げ選手から主人公が追われるという話です(笑)。奇抜なものが良いと勘違いしていたんですね。

──筒井康隆っぽいですね。

小川 そうかもしれません。書いた時から五年経っていた僕はいろいろ読んでいたので「ちょっとこれはないだろ」と思いました。でもせっかく「才能があるかもしれない」と言われたので、勉強して新しく作品を書いてみたんです。でも、ショッキングなことに「昔の作品のほうが良かった」と言われてしまいまして。小説を書くことはそれきりになっていて、それからは研究を続けていました。久しぶりに書いたのが今回の作品です。途中、書きかけた小説もありましたけど、最後まで書き終えたのはこれで三作目です。

──執筆期間中に読んだり見たりしていた作品はありますか。

小川 執筆期間に小説はまったく読んでいません。海外ドラマをずっと見ていました。『シャーロック』『LOST』『ER』『CSI』などHuluで見れるもの。SFっぽいものだと『パーソン・オブ・インタレスト』ですね。ちょっと世界観が自分の作品と似ています。『メンタリスト』も面白かった。一番好きなのは『名探偵モンク』で、あまりメジャーじゃないかもしれませんが、全シーズン見ています。最近はNetflixの『ナルコス』がめちゃくちゃ面白くて、一気に見ました。

──ここまで何度かご自身の研究について言及されていますが、もう少し詳しくお話しください。

小川 工学部に進学したのですが、ウィトゲンシュタインや数学基礎論にはまって、数学とはなぜ正しいのかといったメタな問いに興味が出てきたんです。そこから文系に転向して紆余曲折があって、卒論は中上健次で書きました。それからはもっと自分の出自を活かせる研究があるのではないかと思い、修士課程からは自分の元理系というアドバンテージも活かしつつ、アラン・チューリングの研究をしています。「チューリング・テスト」は人工知能の問題においてそれなりに有名ですが、僕の研究では「チューリング・テスト」が正しいかどうか、ではなく、どうして「チューリング・テスト」などというものが発案されたのかを、チューリングの論文・書簡や、同時代的な機械技術、数学理論の発展などを絡めて考えています。チューリングは人工知能が人間をいつか必ず凌駕すると固く信じていた人物で、その確信の根拠は実は数学ではない。人工知能黎明期の希望的観測と、チューリングの個人的な感情が根拠なんです。前者はサミュエル・バトラーの『エレホン』、ヴィリエ・ド・リラダンの『未来のイヴ』、カレル・チャペックの『R.U.R.』などのSF作品が広く読まれていたことと関係していて、後者はチューリング自身が同性愛者だったことと関係しているだろう、と。映画『イミテーション・ゲーム』が昨年公開されましたが、人工知能に関する技術が何度目かの流行を迎えている今、非常にアクチュアルな研究対象だと思っています。

──受賞作のエピグラフにも使われているスティーブン・ピンカーには、どのように出会ったのでしょうか?

小川 チューリングの研究で人工知能について考えていたときに、認知科学や行動経済学の論文を読み始めました。そのときに読んだ中の一冊がピンカーの『心の仕組み』で、エピグラフの箇所を読んで「かっこいい」と。一見複雑で非合理的に見える心の仕組みが、自然選択によって形成されたものだと鮮やかに論証していくんですね。ピンカーの著作だけでなく、ピンカーを批判している論文まで探して読みました。拙作を応募する直前にピンカーの新刊『暴力の人類史』が発売されたので、危うく締め切りに間に合わないところでした。

──それでは受賞作『ユートロニカのこちら側』について伺いたいと思います。タイトルにもなっている「ユートロニカ」という言葉です。作中では「永遠の静寂」という言葉が当てられてもいます。これは造語でしょうか。

小川 ユートピアとエレクトロニカの造語です。僕はエレクトロニカという音楽のジャンルがすごく好きで、これは楽器の使い方やビートの刻み方で規定されるジャンルではなく、基本的に叙情的なテーマが重視される電子音楽なんですね。そのイメージが本作に合っているのではないか、と。タイトルは最初から決めていたわけではなく、最後にどうしようかと考えたときに、思いつきました。

──「こちら側」というのも興味深いです。様々な人類の進化の様態を描いてきたSFはどうしても「あちら側」に執着する。しかし、本作はあくまで「こちら側」にとどまっている。

小川 「こちら側」を選んだのは一種の賭けでした。SF的な文法で書いた小説を、自分自身で正確に審査できる自信はない。でも、リアリズムで書けばある程度は自分で判断できる。「リアリズムで書く」というのが初期の段階で自分に課したコードでした。そうなると「こちら側」しか書けないけれど、徹底すれば何らかの形になるだろうと考えていました。

──この作品はどのように生まれたのでしょうか。プロット、ガジェット、キャラクターのどれから作ったのでしょう。

小川 キャラクターは何も考えず、プロットも作らず、自分の書きたいものを書いてみて、そこから生まれた流れに任せました。ガジェットは、「リアリズムで書く」というコードと関係していて、読者が「こういうもんなんだな」と直感的に分かるものを入れました。「これGoogleだな」「これSiriだな」といった感じで、奇抜で新しいものを作るというよりも、読み手の常識に依拠した、くどくど説明しなくても分かってもらえるものを志向しました。作中のBAPも『PSYCHO-PASS』や海外ドラマのプロファイリングから連想してもらえると思います。

──「とりあえず書いてみる」ということですが、とはいえどこから手をつけたのでしょうか。

小川 目標は最後まで書くことで、論理的整合性を気にしつつ、書いていて自分が嫌にならないようにしていました。全体の設定は書きながらできてきました。最初に書いたのは三章。機械によって犯人がわかる時代で、正義とは何か悪とは何かを考える刑事ものの長篇を書こうと思ったら、意に反して犯人がすぐに捕まり、短篇で終わってしまった。いろんな要素を付け加え、システムを作っている黒幕と対決するという長篇をイメージしていたんですけどね。そこで街をめぐる話に舵を切った。次に書いたのは一章。三章は最初の段階ではくどくど説明が入っていたので、街の話を説明っぽくならないように移住する人を登場させて一章にしました。次が二章。それからバックグラウンドをキャラクターに語らせることで、各章の流れが淀むのが嫌だったので、全部書き終わった後に、各章の合間に独立した背景情報を挟みました。

──執筆中に苦労したのはどこですか。

小川 三章ですね。三章は最初に書いていたときは連作短篇というコンセプトで書いていなかったので、後でその存在が浮いてしまった。だから第三章には時間をかけました。実は応募前に第三章まるごと削るか残すかで悩みました。結果的に残しておいてよかった。街の連作短篇にしようと思ってからは、宗教や日本人など大まかに出したいものを決めておいて、あとは書いてみて考えるということをしました。

──執筆期間はどれくらいでしたか。

小川 集中して書いていたのは今年の一月から三月。正確にいつ書き始めたかは覚えていないです。途中で書くのが嫌にならないように、日々の量や時間は気にせず書きたいときに書いていた。作品の終わりが見えてからは、集中してやっていました。

──各章について簡単に触れていきたいと思います。第一章「リップ・ヴァン・ウィンクル」はアガスティア・リゾートがどのような場所かわかる導入の働きをしています。監視カメラと、人間より的確な判断を下せるAIがアガスティア・リゾートの二本柱になっていますね。私たちの社会でも監視カメラは生活環境に溶け込み、大きな犯罪が起こったときには捜査の助けとなっています。

小川 監視カメラもそうですが、今年二月の川崎市中一男子殺害事件で犯人が捕まるきっかけがLINEだったことにはびっくりしました。LINE上での私的なやりとりを、会社が情報提供しているわけですよね。そういう規約書にOKを出して使っている。LINE社は日本中の片思いや不倫を把握している可能性があるわけで、でもだから使うのをやめられるかというとそうもいかない。いくら監視が嫌だと言っていても便利さの前に負けてしまう。そういうリアリティというか、諦観はあります。

──第二章「バック・イン・ザ・デイズ」では、過去の完全な体験ができるテクノロジーが登場します。

小川 視覚・聴覚のデータを蓄積していったらこういうサービスは出るでしょう。そのサービスを使っている人たちをただ描くのではなく、ひねりをきかせたら第二章が出来ました。ただこういう機械は倫理的に危ないものだとも思うので、機械が広まる前を舞台に、いかにして流通するとやばいかを伝えたかった。未読ですが、今年出たデイヴ・エガーズ『ザ・サークル』がディストピアが成立する過程の話だと執筆中に聞いて、少し意識したところはあります。ディストピア成立の過程を人間個人の側から描くという方針ができた。

──現代のリアリティは、トップダウンのディストピアではなくボトムアップのディストピアにあるように思えます。

小川 冷戦後の、そして僕の世代のリアリティだと思います。独裁者や独裁国家を主題にしてディストピア小説を描こうとすると、大掛かりな仕掛けが必要になる。ジョージ・オーウェル的ではなく、トマス・モア的に、理想を追求した結果発生するディストピアという構図の方が理解がしやすい。みんなで理想を追求するとその過程で価値観の更新がおこり、その更新についていけなかった人にとってはディストピアになってしまう。作中にも書きましたが、独裁者がいるのではなくて、民意自体がユートピアにもディストピアにもなるんだと思います。これからの文学や思想は、民意とも闘う必要が出てくるかもしれません。

──実は長篇になる計画もあった第三章「死者の記念日」は刑事のオートメーション化がテーマです。続く第四章「理屈湖の畔で」は犯罪予防テクノロジーが社会に実装される過程を描いています。現実世界でもこのような民意の暴走はありえるように思います。

小川 ありえるでしょうね。ただ、僕の考えるSF読者は現状への批判的な視線をもっているはずなので、一方向にがーっと流れていく人たちがいたときに、その流れを相対化してみることができるんじゃないかと思っています。

──五章「一族のブリンカー」には日本人が出てきます。タイトルの「ブリンカー」とはなんでしょうか。

小川 ブリンカーは「注意力の散漫な競走馬が、視界を狭めるために被るマスク」。人間もブリンカーを被って生きている。人間が精神的に破綻せずに生きていくためには、ある程度、自分に都合のよい現実を見ていかないと難しい。誰しも自分なりの原理主義を抱えて生きている。人間とは、元来そんなものだろう、と。技術が可能になってしまった以上、こういう傾向が進んでいくのはある程度しょうがないと思います。

──六章「最後の息子の父親」には宗教者が登場し、自由意志をめぐる対話をします。

小川 アメリカを舞台にした話がここまで進んでいて神にふれないのはどうかと思いこの章を考えました。キリスト教や宗教的な価値観における自由と、監視社会における自由がどういう風にぶつかりあうのか。書いているうちに自覚的になったのは牧師という職業はコードに規制されていて、ある面では人工知能的な部分があること。聖書というコードから逸脱することと、監視社会の中で戦っていくことをオーバーラップさせたら面白くなると思いました。安全と自由はある程度は両立できても、どこかの時点で頭打ちになってしまう。テクノロジーと人権概念の発達が、そのポイントまで人類を一気に導いた。安全と自由のどちらかを取るほかないのが9・11以降のリアリティだと思います。

──個人の蓄積されたデータから行動を予測するBAPというガジェットも登場します。これはAmazonやSNSと連動したターゲット広告の延長にあるものですね。

小川 現段階の技術でもある程度は可能なものをイメージしています。現在でも、自分の行動がある程度、予測されてしまっている。今後さらにこの精度は上がっていくことでしょう。個人的な感想を言えば、作品世界のように犯罪を完全に予防するところまではいかないとは思っていますが。ただし、現実の殺人事件はもともと異常な人間が異常な動機で起こしていることも多く、そういった異常さの大部分は拾い上げることができると思います。防犯としての「予測」の流行に反対すると「お前、犯罪者なの?」と言われるだろうし、人間は誰しも後ろ暗いところがあるので、反対論者の暗部がネットで暴かれて炎上したりして、反対すると損する空気ができるのではないでしょうか。

──家族や男女の関係性の変化も描かれていますね。

小川 価値観の変化を描きたかったので、過去のエピソードを出したうえでそうした演出は能動的にやっています。自分と他人は価値観を異にしますが、今の自分は過去や未来の自分とも違っていますから。逆に書いているときは、家族のことは意識していなかったですね。振り返ってみると、誰にでもわかるような身近な人間関係と、SF的な世界における社会の変化との共通点・相違点をくっきり出すことによって、話が書きやすくなったように思います。

──各章ごとにいろいろなキャラクターが出てきます。中でも好きなキャラクターはいますか。

小川 書いていて一番楽しかったのは第四章のドーフマンです。変なヤツを書こうと思ったんですね。それまでは「SFとはこういうもんだ」と自分の中で抑制しながら書こうとしていたけど、四章まで書き進んで「もういいじゃん、自由にやって」となった。思い入れがあるのは刑事スティーヴンソン。もともと彼が主人公の長篇を書く予定でしたから。

──本作はSF的な文法にのっとりコアなファンのSF心を刺激しつつ、難しい問題を考える切り口を分かりやすく提示しています。幅広い読者に届くと思います。

小川 ありがとうございます。答えがない問いが出てくるのは、僕が哲学研究をしていることも関係しています。読む人にどうやって問題を共感・共有してもらうかは一人の研究者として意識したことでした。

──最後に、今後の抱負をお願いします。

小川 アイディアは何個か浮かんだり消えたりしていますが、具体的に真剣に考えているものはまだありません。まずは出版したあとの反応、誰に読まれているのか、どういう風に読まれているのかをフィードバックしたい。ハードな方向に振り切るのか、リアリズム路線でやっていくのかも考えています。文学の役割の一つに、世間から光があたっていない弱者や忘れられているものをとりあげることがあります。生半可な技量や知識でやると陳腐なものになるので、どれぐらいやれるかはわかりませんが、SFというジャンルで光があたっていないものを探してみたいです。

(二〇一五年九月二十七日/於・早川書房)


本日11月24日、五反田ゲンロンカフェ「大森望のSF喫茶」シリーズに小川氏が登壇! ぜひお越しください。

【大森望のSF喫茶 #19】大森望×小川哲「ディストピアの最新系—『ユートロニカのこちら側』ハヤカワSFコンテスト大賞受賞記念イベント」 @nzm



SFマガジン

この連載について

第3回SFコンテスト受賞者インタビュウ

小川哲

今年で第3回を迎えたハヤカワSFコンテスト、大賞を受賞したのは86年生まれの東大院生・小川哲氏による『ユートロニカのこちら側』。個人情報と引き替えに完璧な幸せの日々が約束される未来都市で、人間らしさと自由を求めて彷徨する人々を描く6篇...もっと読む

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コメント

kokumurak 独裁者がいるのではなくて、民意自体がユートピアにもディストピアにもなるんだと思います。これからの文学や思想は、民意とも闘う必要が出てくるかもしれません。 |小川哲| 24日前 replyretweetfavorite

syuichiao89 https://t.co/Iro3ebC54f 約2ヶ月前 replyretweetfavorite

umui 後期バラード作品、今読んでいる『ユートロニカのこちら側』(小川哲)の関連でも言及されていた。今年のハヤカワSFコンテスト大賞作品。作家さんは今博士課程でチューリングについて研究しているらしくて、インタビューも面白い https://t.co/Mrm8OPK0Mr 2年弱前 replyretweetfavorite

kokumurak 『ユートロニカのこちら側』の小川哲さんのインタビューです→ 2年弱前 replyretweetfavorite