──『世界の涯ての夏』大変興味深く拝読いたしました。文体も異なる複数視点の使い分けが、まず目を引きます。〈涯て〉そのものを描写した断章を除くと、少年少女の交流を描いたジュブナイル風パート、ある実験の被験者となる老人を描いたサイバーパンク風パート、そしてゲーム開発者の青年の苦悩を描いたビジネス小説風パート。この三つのエピソードが交互に描かれていくわけですが、それぞれの個性と差異が魅力的です。構成はどのように固めていかれたのでしょうか。
つかい 実験体として育成されていた少年時代を、美しい思い出としてひたすらに思い返す「接続された老人」というアイデアを数年前に思いついたのですが、書きかけて放置してありました。短篇になるかと抱えていたのですが、そのうちに周辺状況を別の視点から描いて、連作短篇にできそうだなと思い始めまして。周辺の状況は、頭の良い人物が大活躍するのではなくて、普通の人たちがそれぞれの立ち位置で事態に向き合う形にしたいと考えて、揉んでいるうちに現在の形になりました。
──本書を読んで何よりも強烈に印象に残るのが〈涯て〉です。〈涯て〉とは、何でしょう。どのようなイメージを持っておられますか。
つかい ビジュアル的には惑星表面にぽかっと貼りついた巨大な球体ですね。とてもゆっくり進行する爆発のようなもの、でしょうか。爆発に巻き込まれて何もかも終わってしまう瞬間を引き延ばした雰囲気が、作中の世界に欲しかったんです。それは、終わりが目に見えるかどうかの違いだけで、我々の現実と変わらないと考えています。世界が不滅である、永遠にあると考える人はいないと思いますから。みんな〝自分〟にとっての世界は自らの死で終わると知った上で、普通に生きているんですよね。
人が〈涯て〉をどう受け取るかについては、作中でも触れたのですが、虫歯だと思います。何となく痛むような歯の穴を、舌先でつい触ってしまう、あの感覚ですね。〈涯て〉=滅びには、そういうイメージがあります。
つかいまこと氏
──本書はファーストコンタクトSFなのでしょうか。そのことを肯定させる要素も多分にありますが、定型をあえて逸脱していこうとする意図も感じられます。スタニスワフ・レム『ソラリス』を思い浮かべる読者も多いと思いますが、違いは何でしょう。
つかい 『ソラリス』のような金字塔的存在と並べられてしまうと、改めて自分の何も考えてなさが際立ってしまって恐ろしい限りですが……。未知なるものと接触するとき、必ず人は「自分の中の未知なるもの」と対峙するのだと思います。 我々は、他者と関わる際に、自分の中に作り上げた他者性を通じてしか他者を感得しえないのかな、と。そうして他者という鏡に映った自分を見るんですよね。それがコミュニケーションであり、人間の基本OSなのだろうと思います。
未知と遭遇するとは言いつつも、真に未知なるものに、人はつながることができない。限界があるけれど、人は自己完結していればよいわけでもない。人は未知や他者を求めてやまないことも基本OSに書かれてあって、それが人を駆動しているのではないでしょうか。乱暴に言ってしまえば、これは愛だよね、と思います。特に、女子たちが実は自分たちとは違う種類の生き物なのだとわかってくる、あのころを考えてください。あれって圧倒的に未知との遭遇だよね、男子のみんな。と思います。
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