現代暴力論

気分はもう、焼き打ち—栗原康×白井聡対談【前篇】

『大杉栄伝』(夜光社)で「第五回 いける本大賞受賞」「紀伊國屋じんぶん大賞2015 第6位」。今年初頭から、一挙に注目を集めた新進気鋭のアナキズム研究者・栗原康さん。新刊『現代暴力論――「あばれる力」を取り戻す』(角川新書)の刊行を記念し、政治学者・白井聡さんと行った紀伊國屋書店でのトークイベントを公開します!「気分はもう焼き打ち」「隷従の空気を破壊する」「Survive ではなくLiveをつかめ!!」と、過激な帯文句のついた『現代暴力論』。その作者の素顔とは??


栗原康『現代暴力論』、話題沸騰中!

高学歴非ワーキングプア!?

白井聡(以下、白井) 日曜日にわざわざお集まりいただき、ありがとうございます。今日、入場した瞬間に分かったことは、お客さんのメンツが濃いということです。私が存じ上げている方々の顔も多く、ありがたい限りです。
 栗原康くんの新刊『現代暴力論』の感想を話す前に、栗原くんと私がどういう関係なのか簡単に説明したいと思います。最初に出会ったのは、僕が大学2、3年生くらいの頃かと。僕らは早稲田大学政治経済学部に通っていました。僕の後輩の友人が栗原くんで、その縁で知り合ったのですが、僕が4年生、彼が3年生になった時に同じゼミになり、良く顔をあわせるようになりました。私は留学をしたため、卒業は一緒でしたね。卒業後もたまに顔を合わせてきました。

栗原康(以下、栗原) 1年に1回くらいは顔を合わせる関係が続きましたね。

白井 デモに出かけるとたまに会ったりしていた。その際に「博士論文が通らなくて……」とか言っていたから、心配していたよ。大丈夫かなと思って見ていたら、『大杉栄伝 永遠のアナキズム』という本を突然出してきた。僕は「ついに出た!」と思った。ついにというのは何故かと言うと、大学時代から彼は「大杉栄は素晴らしいんだ、重要なんだ」とずっと言い続けていたからです。今となっては、栗原くんが正しかったと思うのですが、当時はなぜ大杉栄が大事なのかよく分からなかった。
『大杉栄伝』(夜光社)は非常に良い本で、しかるべき評価を得て話題になった。私の『永続敗戦論』(太田出版)に続く形で「いける本大賞」を受賞しました。その後、『はたらかないで、たらふく食べたい』(タバブックス)という非常に挑発的なタイトルの本を出し、さらに『現代暴力論』でこの通り大躍進です。高学歴ワーキングプアという言葉がありますけれども、この人は違う。高学歴、プアというところは合っているけれども、ワーキングしていない(笑)。非常に特異な立ち位置を占めている人物として現れた。

栗原 高学歴非ワーキングプアという言葉、いいですね(笑)。使わせてください。

白井 いいよ(笑) でも、パラドックスだよね。高学歴非ワーキングプアで現れたけれども、どんどん売れていくとだんだんワーキングしないわけにはいかなくなってくるから。さらにプアでもなくなってきちゃう。そのとき栗原くんは何を言うのだろうと勝手に心配している。


栗原康と白井聡

『現代暴力論』には思想的な意味がある

白井 さて、この本の感想から行きましょう。世の中には、いろいろな本が出ていますが、その中で思想的に画期的な意味がある本は、実はほとんどない。もちろん書き手はそれなりに一生懸命、それぞれの意図を持って書いているはずですが、何年も残るような思想的意味がある本はほとんどない。そのような状況の中で、思想的意味があると私が断言する、極めて珍しい一冊です。

栗原 光栄です。

白井 ではその意味はなにか。栗原くんは重要なテーゼを出した。“生き延びる”ではダメで、“生きる”ということが重要だと。なぜ“生き延びる”ではダメなのか? とりあえず生き延びなきゃいけない、というのはある。しかし、本当に微妙な問題ですが、“生き延びる”だけを目標にしていると、人はどんどん堕落していくということです。一人一人の人間は堕落していくし、世の中全体も堕落をしていく。
 僕も同じようなことをずっと考えてきたな、という気持ちがある。僕は卒論をトマス・ホッブズについて書きました。ホッブズの著書は『リヴァイアサン』。聖書の中に出てくる怪物で、国家を指している。リヴァイアサンという怪物の名で呼んでいるくらいですから、国家は恐ろしいものだということを自覚してホッブズは書いている。しかし、国家は恐ろしいけれど、国家がない自然状態よりはマシであるという。自然状態とは戦争状態です。万人の万人に対する闘争、これはもう最悪。最悪だから、なんとかみんなが生き延びなくてはと、国家をつくるための社会契約をするんだ、というのが大雑把な『リヴァイアサン』の論旨ですね。
 生き延びるために作ったものが恐ろしいものになり、人間を抑圧するようになる。しかし、自然状態に戻るわけにはいかない。この難しさが人間社会の永遠のパラドクスであるわけで、政治について考えるとは、この問題をずっと考え続けることではないかと思われます。栗原くんは『現代暴力論』を書き終えてどういう心持ちでいるのか、どういう心持ちで書いたのかを聞きたいのだけど。

栗原 こんにちは、栗原と申します。回答の前に、僕からも白井さんの学生時代に触れたいと思います。僕は今、大学の非常勤講師と、公務員試験予備校で講師をしています。あまり働いていないのに就職予備校に行くという矛盾を抱えていますが(笑)、こういう道を進んできたのも、白井さんのアジの影響があったのかなと。

白井 高学歴非ワーキングプアを生みだしたのは、僕だった!?

キリギリスのように生きていきたい

栗原 白井さんを最初に見たのは、ゼミのオリエンテーションです。梅森直之先生という日本政治思想のゼミに僕らは入っていたのですが、入ったきっかけは白井さんのアジ(笑)。早稲田大学はゼミに入るためにゼミ幹事たちがオリエンテーションをやるんですね。友だちに「白井さんという面白い人が出るから見に行こうよ」言われて行ったら凄かった。

白井 完全に忘れている。そのとき僕はいったい何を話したんですか?

栗原 「諸君! 就職ゼミをぶっ潰そうじゃありませんか!」と(笑)。具体例として就職ゼミの名称もあげられて、もう僕は「おお~!」と燃えあがりました。興奮していたのは3人くらいですけど(笑)。もう、ここのゼミに行かなくてはいけないと思ったのです。その後、ゼミの面接が梅森先生とあったのですが、「君はなんでこのゼミに来たいんですか」と言われたときに、大杉の話をすればよかったのに「白井さんという方の演説が胸に響きまして」と言ってしまったほど。「他に理由はないの?」「いや、演説が」「うん、まあ、もういいや」と。よく入れてくれたなと思いますよ(笑)

白井 先生、寛大だなあ(笑)

栗原 ゼミだけでなく、サークルでも付き合いがありましたね。僕は社会哲学研究会でしたが、白井さんのいた政治経済研究会とメンバーが被っていた。一緒に丸山眞男や日本思想の本を読む勉強会や合宿に行きました。鬼の合宿でしたね。

白井 『資本論』を読む合宿やったよね?  栗原くん来たよね?

栗原 行きました。勉強会が地獄で、ヘーゲルの『精神現象学』などをずーっと、ひたすら読む。

白井 あまりにきつくて電車の中で吐いた人がいた。

栗原 そうです。丸山眞男合宿のときは、僕が車で吐いた気がします。

白井 あ、そうだ。丸山眞男の『日本政治思想史研究』を読みに軽井沢まで行ったよね。

栗原 ゼミや勉強会終了後の飲み会で白井さんが喋っていたことが、ずっと印象に残っていますよ。大体、二次会を高田馬場の「わっしょい」という、2000円くらいで朝までいられたところでやっていたのですが、そこで白井さんと安藤丈将さんという社会運動の研究をしている先輩が異様に盛り上がった。僕の『はたらかないで、たらふく食べたい』の最初の文章は「キリギリスとアリ」という題ですが、そこに出て来る先輩とは、実は白井さんのことです。

白井 忘却の彼方になっているなあ。

栗原 「アリとキリギリス」は労働倫理、遊んでいる人間は死んでしまうぞと訴える話ですが、それを逆転させた物語を即興で作り始めた。最後はキリギリスがぶち切れて「革命だー!」と言ってアリを食べ、蓄えた資産を皆で分配するという(笑)。キリギリスのように生きていきたい、そう思うようになったきっかけは、そこだったのではないかと思ったんです。

白井 我ながら良い話を(笑)

生の拡充で奴隷制をぶっ飛ばせ

栗原 『現代暴力論』のサブタイトルに「「あばれる力」を取り戻す」と付けてみました。僕は大正時代のアナキスト・大杉栄を研究していまして、大杉の“生の拡充”という考え方に基づいて、力や暴れるということを表現してみました。
 大杉は、生とは自我だと言います。自我とはなにか、それは力だと。まとめると、自分が生きる力のことを生と呼びましょう、ということです。「生きたい!」と思う力は、どんな力にも広がりゆくものだ、初めからそこに縛りはなく、無数に色々な方向に広がっていく。それが、生きる力と言えるものだと。
 どういうことか。人が生きることには、そもそも縛りや尺度は存在しないということです。初めから、ある基準に従って生きることは、生きるとは言えない。何かの基準に従って生きるということは、“生かされている”。何かのために生きるのではなく、自分が「ちょっと面白いからやってみよう」と、どんな形でも良いからやってみる。そういった力の充実感を味わっていくことが生きることなのです。 
 「こうやって生きてみたい」「ああやって生きてみたい」ということは色々あると思います。僕なら本が読みたいとか、面白い文章を書いてみたいとか、好きな子と付き合ってみたいとか。「こういうことをやってみたい」というのには、もともと尺度や基準はありません。今は、大学で勉強するというと、本を読むのにも縛りができてしまっています。「就職するために学ぶんだ、だから、こんな本を読むべきだ」と。

白井 僕らの勉強会は就活には役立たなかったね。

栗原 まったく。全然役に立たないかもしれないけど、面白そうだから読んでみよう。ただ、それだけで読んでみても良いのです。自分から言っちゃいけない、やっちゃいけないことは存在しない。自由奔放に好きにやっていいんだ、というのが“生の拡充”。
 そういった「あばれる力」こそが大事だし、本来は、そのような生き方をすることが、人としては普通なのではないかと。実は、白井さんの卒論発表時のコメンテーターを僕がしていたのですが……。

白井 思い出したけど、僕は栗原くんのコメンテーターだったね。

栗原 そうです、僕の卒論は大杉栄でした。白井さんの卒論で面白かったのは、ホッブズをかなりアナキズム的に読み解いていたことです。
 国家がやることは何かというと、大杉栄曰く、奴隷制をつくること。戦争捕虜や借金漬けにして、奴隷にしてしまう。古代の戦争捕虜は、いつ切り殺されても仕方ないわけです。圧倒的な死の恐怖に人を晒す。ホッブズの、国家をつくらなくてはいけないというときの恐怖はこれと同様ではないでしょうか。そういう状態にさらされると、人間は無力になります。奴隷とは、人間なのにモノと同じになることです。モノと同じように交換可能になってしまう。

白井 賃金労働の起源が奴隷制だと言われたりもしますね。

栗原 そうですね。交換可能になった奴隷が何をやらされるかというと、公共事業や土木工事、田畑の開墾です。その見返りとして生かされているんだぞ、と言われる。
 恐ろしいのは、奴隷の状態にされていたら普通だったら反抗していてもおかしくないのですが、それができないところです。仕事ができると主人が褒めてくれたり、ご褒美をくれたりする。もちろんそれができなかったりすると罰せられたり叱られたりするんですが、これが繰り返されると、「ご主人さまに奉仕することは良い事なんだ。しないのは悪いことなんだ。だから主人に仕えないのは悪い事だ」と、負い目を持って主人に仕えようとしてしまうのです。大杉栄は、これを奴隷根性と言いました。
 僕は、生きることに負い目を感じて、支配者や社会ルールに従ってしまうことを、この奴隷根性を踏まえて“生の負債化”と表現してみました。奴隷根性を一度植え付けられてしまうと、一つの社会、システムが成り立ってしまいます。
 今は「お金を稼ぐことは良い事だ」になっていますが、そうすることが人間としての価値観を高めることだと思ってしまう。そうしないのは悪い人間だ、悪い人間だから排除してもいい、バカにしてもいいという発想が生まれることとなり、そこから抜け出せなくなっていくことが恐ろしいのです。大杉は、奴隷であっても生きる力は備わっている、だから、もう一回生きる力を爆発させて、自分が奴隷として囲い込まれている枠組みをぶち壊していくべきじゃないかという。
 僕は、大杉の指摘する奴隷制の問題は、極めて現代の問題でもある、と考えています。(後編につづく)

 構成・神田桂一 協力・紀伊國屋書店新宿本店

角川新書

この連載について

現代暴力論

白井聡 /栗原康

『大杉栄伝』(夜光社)で「第五回 いける本大賞受賞」「紀伊國屋じんぶん大賞2015 第6位」。今年初頭から、一挙に注目を集めた新進気鋭のアナキズム研究者・栗原康さん。新刊『現代暴力論――「あばれる力」を取り戻す』(角川新書)の刊行を記...もっと読む

関連記事

関連キーワード

コメント

takeuchitatsuki 白井聡や栗原康は若干歳が上だが、梅森ゼミ出身者とは政治・思想談議はできても経済面は絶対に合わない自信がある https://t.co/byn9pvE9mK 約1ヶ月前 replyretweetfavorite

takeuchitatsuki https://t.co/byn9pvE9mK 約1ヶ月前 replyretweetfavorite

takeuchitatsuki 栗原康と白井聡の梅原ゼミ回想談が面白い。 https://t.co/byn9pvE9mK 約1ヶ月前 replyretweetfavorite

nonnta1969 @nonnta1969 しかし「違う」と断じられる点が何なのか釈然としなかった。それは栗原康氏の書物を読んだ事により氷解した。まあ相容れんわな。https://t.co/tySw0SZLfX 8ヶ月前 replyretweetfavorite