「訴えられても俺の勝ち」
—— 演劇版『さようなら』は、15分の短編作品として2010年に初演されました。前回のインタビューで、深田さんはこの初演ヴァージョンを見てすぐに映画化したいと思ったとおっしゃいましたが。
深田晃司(以下、深田) そうですね。そのことは平田さんにもお伝えしました。ただ、その後に3.11も挟んで、ちゃんと「こういう内容で行きたいんですけど」とお願いしたのは2011年の秋です。
平田オリザ(以下、平田) そのときに初めて、「原発」を盛り込むという話を聞いたんですよ。15分の初演ヴァージョンには、原発というテーマは入ってなかったので。
—— 初演時の『さようなら』は、「ジェミノイドF」という女性型アンドロイドと、人間の女性役者ひとりのみが出演する舞台で、「死にゆく人間にアンドロイドが詩を読む」という内容でした。しかし、2012年に上演された新バージョンでは、その人間をみとった後にアンドロイドが福島に運ばれ、人の立ち入れない放射能汚染区域の死者を弔うために詩を読む、という第2部が付け加えられましたね。
平田 ええ。実はね、深田くんから原発の話を聞いたとき、僕も原発で第2部を書き始めてたんですよ。でも、後から出すと、僕が深田君のアイデアをパクったみたいに見えるでしょ(笑)。だから急いで書き上げたんです。
深田 ははは。確かに、映画化を申し込んでから、1週間も経たないうちに第2部を含む新バージョンの台本が送られてきて。
平田 こういうのは早いもの勝ちだからね。「これで裁判になっても俺の勝ち!」っていうことですよ。
一同 (笑)。
平田 まあもちろん、あのタイミングで3.11があったからこそ、お互いこういう内容になったんでしょうけど。
—— 平田さんはこれまでも、そのときどきの社会問題を折り込みながら、今の時代に生きる人間を描いてきました。今回、原発を扱った動機は……というか、それによって何を描こうとしたんでしょう?
平田 舞台版『さようなら』の後半に関しては僕の意図ははっきりしていて、人間を皮肉る作品として作った。原発事故が起こったころ、「なんで事態の収拾にロボットを使わないんだ」「日本はロボット大国なのに、こんなときに派遣できるロボットを作っておかなかったのか」っていう批判が盛んに出たんです。僕もロボットに関わっている身なので、とばっちりみたいによくそんな質問にこたえさせられてたんですよ。
—— そうなんですか。
平田 で、科学技術の破綻によって起こった原発事故に対して、ロボットに頼ってしまう人間というのは、なんて勝手なんだろうと思った。そんな人間を皮肉るために、どういう内容が一番有効か、ということを考えた結果、ああいう内容になったんです。
実際に、福島の立ち入り禁止区域の沖合には、回収できなかった遺体がたくさんあった。そこにアンドロイドを派遣して、人間に代わって死者を弔わせる、というのが『さようなら』に込めたメッセージです。
—— なるほど。深田さんは、どういった動機で原発を扱ったんですか?
深田 僕はもともと、3.11の前に映画化を思いついたときから、「死にゆく女性を取り巻く世界そのものも破滅に向かっている」という舞台設定を考えてたんです。世界が破滅に向かう理由は原発以外にも考えられたんだけど、3.11が起こった今、一番リアリティのある設定はなんだろうと考えたときに、「原発事故だ」と。
—— 時代が違えば、核戦争を描いたかもしれないし、ウイルスの脅威を描いたかもしれなかったということですね。
深田 そうです。映画の中ではっきりとは示していませんが、一応、設定は「同時多発的に原発テロが起こって日本に住めなくなった」という状況になっています。これは今や起こりえることだから、原発推進派・反対派に関わらず、みんなが考えなきゃいけないことだと思う。
僕は、この映画で原発に反対も賛成も表明していません。3.11後、原発を巡るいろんな映画が作られましたが、反原発を強くメッセージとして押し出したものの最大の消費者は残念ながら反原発派の方です。それはもったいないことだと思うんです。ただ今身近な状況を設定することによって、もっと豊かで広がりのある映画を作りたかったんですね。
平田 まあ、僕が第2部を書いた一番の理由は、「15分じゃあまりにも短いから伸ばしてくれ」って制作に言われたからなんだけどね(笑)。
深田 それを言ったら僕も同じですよ(笑)。この短編のお芝居を2時間の長編映画として上映するために、いろいろ膨らませたんですから。
かつての映画にもあったリアルな会話は、今、どこに
—— 深田監督は、映画学校に通ったのち、青年団の演出部に入ります。演劇を作るためではなく、あくまで映画を学ぶために青年団に入ったところがおもしろい……というより、かなり特殊だと思うんですが(笑)。
平田 そうですね。こういうやつは初めてですね。
深田 僕のあとに、そういう人っていますか?
平田 うーん、無隣館(青年団と、その本拠地である「こまばアゴラ劇場」が運営する演劇学校)には何人かいるけど。そもそも僕は自由放任主義なんで、なにやっててもいい。今、青年団の演出部にいる人間にも、何年も演劇は作らず教育に関わる仕事ばっかりやってるやつもいますからね。
—— 深田さんは、なぜ青年団に入ろうと思ったんですか?
深田 僕は本来、かなり頑迷な映画至上主義者なんです。中学、高校のころから年に何百本も映画を見てて。しかもモノクロ時代の映画や古典名作ばっかり見てるから、70年代の作品は“つい最近の映画”と思ってしまうくらいのシネフィルなんです(苦笑)。
そういうシネフィルにありがちな話なんですが、いざ映画を取ろうと思っても、「あの映画みたいに撮りたい」「こう車が走ったらカッコいいぞ」ということは思いつくのに、生身の人間を前にすると演出できないんですね。脚本のセリフも、現代の話し言葉になっていない。そんないきづまりを感じていたときに、平田さんの演劇にいきなり出会ったんです。
—— それが刺さったんですか?
深田 はい。僕は映画至上主義者ですから、それまで演劇をバカにしてたんですよ。狭い小劇場で役者がツバを飛ばし合ってアツくなればなるほど、こっちの心は冷えていく、というような経験を何度もしていて、苦手意識もあったんですね。
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