アメリカで学んだ「デートの誘い方」
堀 うちのじいさんは、繊維系の商人でけっこう成功した人でね。4人の子どもに、「堀家は商売はもう十分やったから、お前たちは人の役に立つことをやれ」と言ったんですよ。それで、長男だったうちの親父は外交官になったんです。親父は三兄弟で、次男は外科医に、三男は婿養子になって企業の役員をしていましたね。
藤野 バラエティに富んでますねえ。
堀 そうそう。親戚で集まると、職業によって価値観がぜんぜん違うんだなと感じました。外科医の叔父はもう「切ることこそ我が人生」という感じで職人気質だし、企業の役員になった叔父は人当たりがよくて腰の低い人です。
藤野 堀さんは、父親に「将来◯◯になれ」と言われなかったんですか。
堀 言われなかったですね。だから僕も子供にああしろこうしろと指示することはほとんどありません。
藤野 堀さんとは何度もお話しさせていただいていますが、生い立ちをうかがうのは初めてですね。中学高校は、どんな学生生活だったんですか。